今回ご登場いただくのは、株式会社MagicPodでエンジニアとして働く小坂純也さんです。日本各地で町おこしに従事してきた小坂さんは今、AIを使ったソフトウェアの開発に情熱を注いでいます。「この仕事にめぐり合えてラッキーです」と爽やかに笑う彼が天職を見つけるまでの、ユニークなキャリアを辿りました。
Profile/ 小坂純也さん 株式会社 MagicPod ソフトウェアエンジニア ※2023年6月現在
進級は当たり前じゃない。「規格外な学び」を求めて
-2022年8月にMagicPodに入社された小坂さん。現在のお仕事内容について教えてください。
僕はエンジニアとして、AIを活用したテスト自動化ツール(MagicPod)の開発に携わっています。ノーコードでソフトウェアテストの自動化を実現させるプラットフォームです。
今は静岡の自宅からフルリモートで働いています。富士山が近い自然豊かな場所で、休みの日はハイキングもできて、すごく心地よいですよ。
-小坂さんは東京大学に進学後、中退されたと伺いました。どのような経緯があったのでしょうか?
遡ると中学生のころから、「教室で授業を受けること」に漠然としたモヤモヤを抱えていました。勉強は好きだったんですが、教室という箱のなかで一様に学ぶのがどうも苦手で。当時は双子の弟と将棋や囲碁に没頭する時間がなにより好きでしたね。学校の授業には答えがあるけど、将棋には答えがない。分らないことについて考えることがとにかく楽しくて。高校時代には、弟と将棋の全国大会に出場するくらいのめり込んでいました。
一方、数学や物理といった理系科目は得意で、東京大学の理科一類に合格することができました。ところが入学して1週間で、「やっぱり、教室で学ぶスタイルが全然合わないな」と、はっきり自覚してしまったんです。もっと自由に、知らない世界を自分の目で見て肌で感じたい。そんな想いが膨らみ、抑えきれなくなっていました。悩みに悩んだ末に大学2年の前期終了時に、中退する意思を固めました。周囲のほぼ全員から「せっかく優秀な大学に入ったのにもったいない!」と反対されましたね。
でも僕としては、大学に入ったら必ず卒業するというものでもないし、「進級する」のも「辞める」のも、その人が決めたらよいと思っているんです。キャンパスを後にしたとき心は晴れ晴れとしていて、ようやく自分の人生が動き出した!という感覚がありました。
移住生活の先で辿りついた「天職」
-キャンパスを飛び出した小坂さん。その知的好奇心はどこに向かっていったのでしょうか?
とくに惹かれたのは、農業や林業などの一次産業や、伝統工芸です。昔から、食卓に上がる料理を見ると、「この食材たちは一体どこからくるんだろう?」と好奇心が湧くタイプでした。知らないものを自分の手で触って作って体験して、納得できるまでとことん探求したくなりまして。
8年ほど、日本各地の農村で移住生活を送りました。うち3年は、岩手県です。炭焼き職人に習って1, 2週間くらいかけて木炭作りをしたり、竹細工や藁細工に勤しんでみたり。寒さが厳しい冬には火起こしをして囲炉裏で暖をとり、自給自足に近い生活をしていましたね。個人的な興味から飛び込んだ場所で、気付けば中学生や大学生に伝統技術を教えるインストラクターになっていました。
またあるときは熊本県の事業として中山間地域の集落に派遣され、町おこしに3年間従事しました。夏休みの体験学習で現地を訪れた子どもたちと一緒に、自作した石窯を使って石窯ピザを焼いたり、そばの実から育てる「手打ち蕎麦」を作ったり。仕事というより、「やりたいことをやっている」という感覚でしたね。
その後、奈良で友人がゲストハウスを立ち上げるというので、おもしろそうなので覗いてみたら、ひょんなことから僕も現地のホテル事業や宿泊業に携わることになりまして。その仕事を通じて出会ったのが、プログラミングでした。
-やりたいことをやっていた先で、たまたまプログラミングに辿り着いたんですね。
はい。当時、僕がマネージャーとして運営に関わったホテルの宿帳(宿泊客の情報を書き込む帳簿)が手書きで、データ管理に相当な時間と労力がかかっているのを目の当たりにしました。それで、「宿帳を電子化して予約システムの自動化ができたらめちゃくちゃ効率的なんじゃない?」と思い付いたんです。趣味で少しだけプログラミングをかじっていたので、自力で作ってみることにしました。
いざコードを書き始めると一気に没頭して、少しずつ完成に近付けるプロセスもめちゃくちゃ楽しくて。自分のなかで何かがカチッとハマる感覚がありました。1か月後、開発したシステムを同僚たちに見せると、「すごい便利!」と大喜びしてくれました。「ああ、楽しいなぁ、やりがいがあるなぁ」と心が震えましたね。
大学でプログラミングの授業を受けたときは全く興味が持てなかったのに、不思議です。点数もめちゃくちゃ低かったし(笑)。
そこからプログラミングの世界にのめり込むことに。同僚たちと「どんなデザインが見やすい?」「どうすればお客さんとのやり取りでミスが減らせる?」と議論しながらシステムを創り上げる過程もエキサイティングでした。徐々に、「プログラマーとして働くのもおもしろそう!」という考えにシフトしていきましたね。
-プログラミングの腕はずっと独学で磨かれたんですか?
独学で学びながら、意を決してITベンチャーへの就職を決めたんです。ところがかなりのブラック企業で…2か月ほどで退職してしまいました。これは大きな挫折でしたね。「環境が合わなかったのか、プログラミング自体が自分に合わないのか…」と暗闇のなかで長く葛藤し、いま思い出しても辛い記憶です。
それでもプログラミングへの想いを断ち切れず、ちゃんと学んでみようとプログラミングスクールに入ったんです。その学校が自分の肌にぴったり合って、スキルを磨くことができました。
竹細工とプログラミングは、同じ
-教室での勉強が苦手だった小坂さんがハマったプログラミングスクールとは、一体どんな場所だったのでしょう?
42 Tokyoというフランス発のエンジニア養成機関で、日本では六本木に校舎があります。変わっているのが、「教師がいなくて授業もない」ことです。生徒同士で教え合いながら自分たちで勉強するというルールで、学費も完全無料です。経歴は不問ですが、入学試験はめちゃくちゃハードで、1か月のあいだ睡眠時間を削って死ぬ気でコードを書きました。無事に入学できても課題がさらに難しくて、課題を提出していないと自動的に退学処分になってしまうようなスパルタ学校です。
でも僕にとっては不思議と心地よくて、人生で初めて「学校っておもしろい!」と思いました。
教師不在のなか生徒同士で質問し、教え合って学ぶというスタイルは、もしかしたらプログラミングだけじゃなくて、今の学校教育に応用できるんじゃないかと、個人的に感じています。
42 Tokyoで学び始めて半年が過ぎたころ、僕のプログラミングコンテストの成績を見たMagicPodのCEOがエンジニアとしてスカウトしてくださり、「こんなチャンスないかも!」と思い、入社に至りました。
-今の仕事がすごく好きで、楽しんで働いてらっしゃるのが、小坂さんの表情から伝わってきます。
そうですね。心から「好きだ」と思える仕事と会社にめぐり合えて、本当にラッキーです。MagicPodは自由な社風で風通しがよく、同僚もクライアントもユーザーも素敵な方ばかり。つくづく恵まれていると感じます。社員はみな自社の製品が好きで、会議ではそれぞれが100%納得するところまで、とことん詰めて話し合います。周囲のレベルが高くてついていくのが必死な日々ですが、すごく楽しいです。
自分との相性という意味でも、今の仕事が一番しっくりきています。単純作業はすべて機械で自動化されるので、人間は常に新しいところを開発している感じです。
今日「分かった!」と思ったら、次の日には新しい分らないことが降ってきて。「もう少しゆっくり振ってきてくれ」と思いながらも、分からないことだらけの環境にいられることに面白さを感じていますね。
-町おこし時代の生活と現在の生活では、別世界ですよね。
そうですね。住む場所や同僚の雰囲気がまったく違うので、「すべて変わった」という感じがします。農村で町おこしに従事していたときは、体を動かして年配の方と一緒に働いたり、子どもたちと交流したりするのが生活の中心でした。
でも今は、IT企業で毎日パソコンに向かってコードを書き、同僚も若い人が多いです。めちゃくちゃ頭を使う仕事なので、休日は山に出かけて体を動かすなどしてバランスをとっています。
とはいえプログラミングは趣味でもあるので、休日もなんだかんだコードを書いたり、プログラムのコンテストにも出たりもしています。結局、自分の手を動かして何かを作ることが、根っから好きなんだと思います。
僕にとっては、竹細工もプログラミングも同じなんです。竹を編んで籠を作るのも、コードを書いてシステムを作るのも、どちらもイチから設計して、準備が物を言う。その奥深い世界に惹かれますね。
お世話になった地域にIT技術で恩返しを
-今年40歳を迎えられるということで、これまでの人生を振り返って思うことや、40代以降の展望についてお聞かせください。
20代や30代で、希望も絶望も味わったなと思っています。人生には良いときと悪いときが当然あって。挫折や失敗だと思ったことも、あとから振り返ると大したことじゃなくて、むしろ幸せに繋がったと感じることがたくさんあります。だから今は、多少の問題が起きても、どっしり構えられるようになった気がしますね。
当面はプログラミングの領域にいると思いますが、年齢を重ねても、新しいことにどんどん挑戦し続けていきたいですね。
そしていつか、お世話になった地域になんらかの形で恩返しがしたい。縁も所縁もない地域に飛び込んでいって、本当にたくさんの経験をさせてもらったので、すごく感謝しているんです。
ITの力を使えば、その場所にいなくても貢献することができると思えるようになって。どんなカタチかはまだわかりませんが、IT技術を使ってお世話になった地域をまた支援していきたいと思っています。
インタビュー・編集:家本夏子 (株)エスケイワード 執筆:日向みく