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インタビュー

「待つことで選択肢が見えてくる」多面的なキャリアの先に浮かび上がった専門性。

今回ご登場いただくのは、プロジェクトの推進を支援する株式会社コパイロツトで、プロジェクトマネージャーとして働く長谷部可奈さんです。前職の大手システムインテグレーターに17年勤めながら複業やプロボノを経て、41歳で転職。「もう、好きじゃないことはがんばれない」と笑う彼女が秘める熱い想いや、これまでの歩みについて伺いました。

Profile/
長谷部可奈さん
株式会社コパイロツト プロジェクトマネージャー
※2023年9月現在

テンションの上がる仕事を求めて

ー長谷部さんの最初のキャリアは大手SIer(システムインテグレーター)でしたよね。システム関連のお仕事に就くことはいつ頃から考えられていたのでしょうか。

子どもの頃から生き物が好きで、大学の獣医学部で動物応用科学を学び、動物の腸内細菌の研究をしていたんです。「将来は研究職につきたい」と志して、大学院に進学。在学中にご縁があり、企業の研究所に出向し、3年近くインターンのような形で研究させてもらいました。

ところが想定外だったのは、「研究は楽しいけど、今ひとつテンションが上がらない」ということ。顕微鏡をのぞいて仮説を検証をしたり、新しい発見をしたりするのは楽しかったけど、ひとつのことを掘り下げていくことに、さほど熱量を注げない自分に気づいてしまったんです。
一方で、焼肉屋やラーメン屋のアルバイトにはよろこびを見出すことができました。目の前のお客さんの笑顔を見れるのが何よりもうれしくて。

その中で就職を考えたときに、研究職を志したのは「専門性を持っている人、かっこいい!」という思いがあったからだと気づき、「じゃあ、専門性があって、お客さんに直接よろこんでもらえる仕事ってなんだろう?」と検討し始めました。
当時は、SEなどのIT関連の求人が増え、企業も未経験者を広く募っていました。私自身、実験のデータ解析でパソコンを使う機会が多く、「SEは専門職だし、お客さんと直接関われる! 良いかも」と思ったんです。それでSE職を目指して就職活動を始めました。

新卒でその会社を選んだのは、社風が自分に合っていると思ったことや、充実した教育制度があったことから。システム開発の上流工程でお客様と直接関われるという仕事内容にも惹かれ、入社を決めました。

ー入社後は、どのようなキャリアを積んでこられたのでしょうか?

最初の半年は新人研修でプログラムの書き方を習い、それが終わるとプロジェクトに所属して先輩が作ったプログラムのテストをしたり、プログラムを書いたりしていましたね。
3年目からはSEとして設計も担当。5年目には、プロジェクトマネージャーやプロジェクトリーダーとして、2、3名の小さなチームをまとめていました。
その後は3年ほど製品営業にも携わり、展示会やイベントで興味を持ってくださったお客様と商談をしたり、登壇してセッションをしたり。この時期は、案件獲得からデリバリー、保守まで、ワンストップでの対応を経験しました。

SEとしては恐らく順調にキャリアを積んでいましたが、あるとき思ったんです。「誰もよろこばないシステム」を作っているんじゃないかと。

システムを作るとき、多くの場合はシステムを実際に使う現場の方とシステム会社の間には、お客様の情報システム部門が入る、という体制で仕事が進みます。そうすると、システムを使う現場・情報システム部門・私たちシステム会社の間で、どうしてもミスコミュニケーションが発生してしまうんです。それだけでなく、請負契約という契約形態の壁など、構造上の問題もあり、本当に必要とされるシステムが届けられていないのではないかと思うようになりました。
そう考える中で、システムを作るときにもっとUX(ユーザー体験)デザインやサービスデザインの観点を取り入れていきたい、と社内で声をあげていたところ、2019年に立ち上がった新設部署に呼ばれ、そこでUXデザインやサービスデザインに取り組んでいくことになりました。

プロジェクトのマネジメントだけではなく、ファシリテーターとしての立ち位置でプロジェクトに関わる機会が増え始めたのもこの時期です。多くのお客様からデジタルトランスフォーメーション(DX)推進についてのご相談をいただき、ワークショップを通じてお客様側の検討チームとともに施策を考えていく、ということをしていました。
新設部署では、そういったお客様が実現したい状態や求める価値を深くヒアリングし、具現化するところまで伴走するサービスを立ち上げ、離職する直前までこのサービスを担当していました。

システム作りに携わる中でエンジニアと呼ばれる技術を極めていく人たちを見てきましたが、自分はひとつのものを極めるより、「これとこれが繋がるんじゃないか」と新たな構造を見出すのが好きで得意な人間なんだと、改めて気づきましたね。

「自分の普通が世界のすべて」じゃなかった

ー長谷部さんの転機は、とあるワークショップだったと伺いました。

そうなんです。社会人6年目に差し掛かった頃、自身のキャリアに漠然とした迷いと葛藤を抱えていました。悶々としていたある日、知人の紹介で「自分の価値観を見直す」というテーマのワークショップに参加することに。20枚ほどの様々な価値観が書いてあるカードを渡されました。
「この中から、あなたが大切にしたい5枚を選んでください」。そう説明を受け、私は「能力の発揮」や「チームプレイ」といったカードを手に取りました。そして隣の人のカードと見比べたとき「全然違う!」とびっくり。私がさっさと捨てた「慎重さ」「アーティスティック」といったカードを、他の人は選んでいたんです。

「ちゃんとしないと」
「普通はどうする?」

子どもの頃から癖になっていた考え方、自分の普通が世界のすべてと思い込んで生きてきました。社会人になったばかりの若い頃、職場の飲み会で仕事の話をすると、「真面目な話はいいから!」と言われて。もっと楽しく飲もうよ!ということだったんだと思いますが、他の人の信念や価値観について話したり聞いたりする機会もないまま過ごしていたんです。

でもワークショップでの対話を通じ、初めて他人の価値観に触れたとき、「自分の当たり前は、世界の当たり前じゃないんだ!」ということに気づき、それまでの自分の考えがずいぶん偏った「普通」に縛られていたんだということがわかりました。

対話を通じて「他人の脳みそや目を借りる」ことで、視野が広がったんだと思います。「ちゃんとしないと」「普通にしないと」と、ずっと自分で自分をがんじがらめにしていたんですよね。このワークショップに参加したことをきっかけに自分の価値観や強みを大事にするようになり、周りのものも違って見えるようになりました。

ーその後、青山学院大学が開催するワークショップデザイナー育成プログラム「WSD」などにも参加されていますよね。

はい。ワークショップの後、自分の中に生まれたポジティブな変化をうれしく思うと同時に、「きっと世の中には、私と同じように悩んでいる人がたくさんいる。その人たちに向けて、自分もワークショップの場を作りたい」という想いを持つようになりましたが、実際にはワークショップなんてやったこともなくて。

いつかきちんと学びたいと思って、ワークショップデザイナー育成プログラムのことはずっと気になっていましたが、当時はシステムを作るプロジェクトの仕事をしていて、納期前になると22時近くまで仕事をするのも当たり前の日々。そうすると通学はかなり難しいので、申し込むタイミングがなかなかつかめずにいたんです。
35歳で妊娠し、仕事量を減らしていたとき「通うならここしかない!」と思い、出産後の育休期間を利用するつもりで思い切って申し込みました。育休を1年間取得する前提で申し込んでいたのですが、実際には保育園に預ける都合で、想定より早く職場復帰することになり、育休は半年で終了……。職場復帰直後にWSDにも通うという、記憶がないくらい多忙な日々を送る羽目になりました(笑)。

ー育児と仕事とWSD…それはお忙しかったでしょうね! そこからワークショップはどうキャリアに活きていったのでしょうか?

WSDの参加者はワークショップの実践者も多く、プログラムが終わると続々と学んだことを活かし始めていました。動き出すメンバーを横目に、「私はどうする?」と焦りました。

その時期にWSDの同期の紹介で出会ったのが、アクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)という読書法です。1冊の本を分担して読み、まとめを作ってその内容を共有、対話を通して本の内容の理解を深めていくものです。もともと読書が好きだったこともあり、すぐにABDが好きになり、「これならWSDで学んだことも実践できるかも!」と、自分でも毎月ABDを開催することに。そのおかげで、場をデザインしたりファシリテーションしたりするスキルを身につけることができましたし、新しい繋がりが一気に増えて、世界が広がりました。

他にも、自律分散型組織を探求する一般社団法人のイベントにも参加するなど、興味の向くままに動いていました。ずっとプロジェクト形式で仕事をしてきたのでチームや組織には興味があったんです。
そうしているうちにイベントの主催者やその周辺の方々と仲良くなり、気づけば自分も運営側になっていました。
こういった活動を通して培ってきたファシリテーションのスキルが、2019年頃から勤め先での仕事と重なり始めて、仕事の幅を広げることができました。

「魂がよろこぶ仕事をしよう」と転職を決意

ーお仕事の幅が広がる中で、転職する決断に至ったのはどういった理由だったのですか?

「自分の価値観と会社の方向性の乖離が大きくなってしまった」というのが最大の理由です。
自立分散型組織を探求する仲間たちと関わっていると、個人を尊重したフラットな人間関係がすごく居心地が良くて。「こんな組織で働いてみたいな」という想いが、2020年頃からうっすらと芽生え始めました。
一方の前職は、大きい企業ならではのピラミッド型の組織で、縦割りになりがちで平均年齢も高め。それでも慣れ親しんだ場所から離れる決め手には欠け、そのまま働き続けていました。

でも次第にこのモヤモヤが肥大化して、苦しくなってしまったんです。仮に70歳まで働くとしたら、あと30年もある。「本当にこのままでいいのか?」と自問自答し続けた2022年、「辞め時だ」とはっきり自覚しました。これからは魂がよろこぶ仕事がしたい
自分が声をあげて始めたサービスデザインやワークショップのチームを離れることに迷いはありましたが、チームのメンバーが会社内でそれぞれのポジションを固めつつあったのも決断のきっかけになりましたね。

現職であるコパイロツトを知ったきっかけは、自律分散型組織の探求をしている仲間が「可奈さんと似たようなことをしている人がいる」と社長の定金さんを紹介してくれたのがきっかけです。クライアント伴走型のプロジェクト推進を担う会社で、その事業内容はまさに私がずっと情熱を注いできたもの。このニッチな領域をビジネスにしている会社があるのだと驚きました。
複業としてコパイロツトのプロジェクトに関わっていたので、転職を考えたときに一番に思い浮かんだのはコパイロツトでした。

ー40代での初めての転職ということで、かなり勇気が必要だったのでは?

いえ、そこは自然な流れで、大きな決断をしたという感覚はありませんでした。複業やプロボノを通じていろんな組織を見てきたし、コパイロツトにも実際に関わってみて、どんな会社かある程度はわかっていたので、不安な中に飛び込む、という感じではなかったんです。

組織に対してモヤモヤしたものを感じつつも転職に関しては優柔不断で、結果的には「大丈夫!」と自分の中で確信が得られるまでずっと待っていた、という形になりました。経緯を知っている友人にも「石橋を一度渡って、向こう側を確認してから、また橋を渡って戻ってきて転職してるんだから」と、不安になるわけないと笑われました(笑)。今は「無理やり飛び出さなくても、然るべきときにタイミングはやってくるんだ」と、振り返って思います。
2023年5月にコパイロツトに転職が決まり、周囲に「辞める」と伝えたとき、フッと呼吸が楽になったんですよね。自分と似た価値観が浸透する環境に身を置くことの大切さを、今改めて感じています。

「待つこと」で自然と道を選び取ってきた

ー長谷部さんがこだわってきた「専門性がある仕事」に対しては、今どのように感じられていますか?

最近やっと踏ん切りがついた気がしています。
プロジェクトマネージャーやファシリテーターの仕事は、専門的なナレッジやスキルが必要になるにも関わらず、プロフェッショナルな職業としての認知や評価はまだまだ低い。アウトプットを保証するというより、一連のプロセスにコミットする仕事なので、成果や効果がわかりにくいんですよね。

例えばファシリテーターは、話し合いをより良い状態に導くために、中立的な立場で参加者に関わり、摩擦を解消するなどの働きかけをします。でも、このファシリテーターが関わったときと、関わらなかったときの状態が比較できないので貢献度が可視化しにくい。「えっ、ファシリテーションだけでお金を取るの?」という声も少なくないですし。「自分がやりたいこと」と「世間の評価」とのギャップに、常にジレンマを抱えてきました。特に前職はシステムの会社なので、「技術」というものさしで図られることが多く、「自分は中途半端」と思いがちでした。

そうやってずっと悩んできたけど、結局振り返るといつも同じことしかしてなくて。「やっぱり私はこれ(ファシリテーションやプロジェクト推進)が好きなんだよなあ」としみじみ。「ずっとやってきたことこそが専門だ! もう、名乗ってしまおう」と吹っ切れたんです。前向きな諦めですね(笑)。

ー前向きな諦め、いいですね! 今後の展望はなにかありますか?

野心みたいなものはないんですよね。好きなことをずっとやり続けたいです。というか、好きじゃないことはもうがんばれない(笑)。
これまでも自分自身の変化と共に、その時々での興味関心を大事にしてきました。迷ったときにすぐに行動に移せなくても「待つこと」で進むべき道を自然に選び取ってきたのだと、40年を振り返った今は思っています。

そういえば最近、チェロを習い始めました。これも急に思い立った訳じゃなく、かつて読んだ漫画とかどこかで聞いた話とか、そういうのが巡り巡ってようやく「タイミングがきた」という感じで始めました。人生の伏線回収みたいですね。これからもきっと、そうやって生きていくんだと思います。

インタビュー・編集:家本夏子 (株)エスケイワード
執筆:日向みく

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