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インタビュー

広報として20年、企業と社会を結ぶ架け橋に。「自分の思い」を起点にチャレンジを続ける

今回ご登場いただくのは、分析計測機器メーカー、堀場製作所で働く南條美樹さんです。新卒で入社して20年以上、広報担当として企業価値の向上に邁進されてきました。
発達障がいを抱える息子さんの育児と仕事の両立に悩み、「私はダメな母親?」と葛藤した時期もあったのだそう。いくつものハードルを乗り越え、人生を逞しく切り拓いてきた南條さんのキャリアを辿りました。

Profile/
南條美樹さん
株式会社堀場製作所 コーポレートコミュニケーション室
※2023年4月現在

「社会に役立つ仕事がしたい」堀場製作所との出会い

-はじめに、現在のお仕事内容について教えてください。

私の主な業務は、CSR活動に関わるコーポレートコミュニケーションです。自社のWebサイトでCSR関連の取り組みを社外に向けて発信したり、様々な社員の活動を取材して社内報に掲載したりしています。
堀場製作所はダイバーシティ推進に力を入れていて、多彩な人財(※)が活躍できる企業を目指した様々な取り組みをしています。その成果の一つとして、女性活躍推進に優れた上場企業を選定する「なでしこ銘柄」「準なでしこ」に4年連続で選ばれました。

※堀場製作所では人を財産と考え「人財」と表現しています。

-もともとは臨床心理士を目指していたそうですね。就活では、どのような経緯で堀場製作所に辿り着いたのでしょうか?

そうなんです、大学では発達心理学を専攻していて。子どもが好きで、在学中は障がいのあるお子さんと関わるボランティアにもよく参加していました。臨床心理士になるには大学院への進学が必須だったので、それを見据えて勉強していたんですが、諸事情により進学を断念せざるを得なくなり、企業への就職に急遽方向転換しました。

就活で改めて自分に向き合ったとき、子どもの頃から持ち続けている「人や社会の役に立つ仕事がしたい」という自分の気持ちに気付いたんです。私が世の中に貢献できる仕事ってなんだろう?どんな企業で働きたいだろう?と辿った先に行き着いたのが、堀場製作所(以下:HORIBA)でした。

高校3年までは理系だったので、モノ作りや環境問題に興味があったんです。HORIBAは大気や水などの環境計測機器も作っていて、「世の中に役立つ製品を作っている」という印象でした。また、創業者がすごくユニークな人で。当時はテレビにもよく出ておられ、ベストセラーになった著書もたまたま読んでいました。HORIBAの社是が「おもしろおかしく」であり、その意味を知って、「こんな会社で働いてみたいなぁ」と惹かれ、ご縁あって入社しました。

個人の興味関心を起点に会社を盛り上げる

-入社してみて、印象的だったことはありますか?

HORIBAの社是「おもしろおかしく」は、「人から言われたことだけをやるのではなく、自分が心からやりたい仕事を作り出しチャレンジすることで、事業や社会に貢献することができ、自分自身も“おもしろおかしく”充実した人生を送ることができる」という意味なんです。当時、直属の上司だった部長は、「本人が心からやりたいことが一番力を出せる」という信念が強い方でした。20年以上も前に、パソコン一台で好きな場所で自分の専門性をバリバリ発揮しながら仕事をしていて、会社には月に1回くらいしか姿を現さないんです(笑)。「会社は舞台で、社員は役者。やりたいことにチャレンジする場として会社を使えばいい」とよく言ってくれて。これは創業者が社是に込めた思いでもありました。新入社員だった私は、「おもしろおかしく」を体現する身近な上司から、マインド形成において大きな影響を受けましたね。

「なんでもチャレンジしたらいい」と言われたことを真に受けて、本当になんでもやらせてもらいました(笑)。例えば、「社員の家族を職場に招いたら、子どもがたくさん来てくれて楽しそう!」と、職場参観イベントを考案しました。これが予想以上の大盛況で、参加した社員は「家族が会社で働く自分を応援してくれるようになった」とすごく喜んでくれて。このイベントは毎年恒例となり、多くの社員や家族から好評をいただいています。
そんな経験から、「自分のやりたいこと」「自分の思い」を起点に、「どうすれば会社にプラスになって、みんなにも喜んでもらえるかな?」と考える習慣がつきましたね。

-発言できる南條さんはもちろん、その想いを受け止める上司の方も素晴らしいですね。広報の魅力はどこにあるのでしょうか。

人が好きなので、様々な部署のプロジェクトの取材を通して、頑張っている社員の姿やその思いに刺激を受けることが多いです。広報の発信を通じて社内外で共通の思いを持つ仲間と繋がって、そこから新しい何かを生み出す過程もワクワクしますね。

広報の仕事は草の根的な活動で、時間もお金も使う業務でありながら成果が見えにくいので、「これって会社の利益に貢献できてるのかな?」とモヤモヤすることはあります。Webサイトのアクセス数が上がっても、小学生が出前授業を喜んでくれても、一生懸命取材をして社内報を発行しても、売上に直結するわけではないので……。
そんなときは、「長期視点でファン作りに貢献しているはずだ」と考えてモチベーションを上げています。私が発信する相手は、HORIBAのことを全く知らない人がほとんどです。広報を通じて、ひとりでも多くの人にまずはHORIBAを認知してもらい、その人の中に「HORIBA」を存在させること。さらに「 社員が“おもしろおかしく” 働いていて、なにか良いことをしている会社」という印象を記憶の片隅に残してもらいたい。そんな思いで、日々の活動を積み重ねています。

「仕事に救われた」15年続いた在宅勤務生活での葛藤

-広報が天職のように感じられますね。やりたいことを次々と実現してこられた南條さんが、キャリアの転換期と感じられているのはいつでしょうか。

発達障がいのひとつである「自閉スペクトラム症」という障がいのある息子が生まれたことですね。もし息子が健常児だったら、まったく違うキャリアだったんじゃないかと思います。ただ私の場合は子どもの障がいの有無に関わらず、もともと「仕事も子育ても、どうすれば全力で向き合えるか」というスタンスでした。

第一子の妊娠がわかった際、産休・育休後はとにかく早く仕事復帰したい、でも初めての子育てもできる限り自分主体でやりたいと考え「在宅勤務の制度を作ってほしい」と部長に相談。当時は2006年で、地方の製造業で在宅勤務なんて前例はほぼなかったと思いますが、この時も私は「なんでもチャレンジしたらいい」という部長の教えを素直に実行しました(笑)。すでに好きな場所で働いていた部長は「やり方を工夫したら、どこでも仕事はできる」と後押ししてくれて、女性の人事部長も「ちょうどそういう新しい働き方を考えてたのよ。半年間トライアルでやってみる? それでいろんな課題を洗い出してもらって、解消できそうなら、正式な会社の制度にするわ」と。初めての出産から半年で、週1日出社、その他の日は在宅勤務という生活を始めました。

でも産後のしんどさは想像以上に壮絶でした。人生初の赤ちゃん育児真っただ中の生活と並行して1日8時間働くことがこんなに難しいなんて……。今のようにオンラインのコミュニケーションツールもなく、通信環境も不十分な中、自分だけが在宅勤務をしているプレッシャーと孤独にも直面しました。でも自分が「在宅勤務をしたい」と言い出した手前、「しっかり結果を出さないと」「私がNGになったら、この制度で救われるほかの人の希望も断たれてしまう」と必死で働いていたら、体がボロボロになっちゃって。「これじゃいかん」と、在宅勤務をする上での課題を分析して、会社にも報告・相談しながらひとつずつ潰していきました。結果的には無事に制度として採用され、ホッとしましたね。

その後、2008年に第二子である長男を出産。このときは1歳まで育休を取り、その後通常の出社勤務で仕事復帰する予定でしたが、息子が0歳のときに自閉スペクトラム症の兆候に気づきました。息子の状態では集団生活は困難との理由で、1歳での保育園入園は断られてしまいました。保育園入園時期の見通しが立たなくなったため「育休明けも在宅勤務を続けたい」と会社に交渉したら、「大変かもしれないけど、すでに経験もあるし頑張って!」と承諾してもらえたんです。結局そこから2022年の秋までトータルで約15年間、在宅勤務メインの働き方が続きました。
息子は保育園と並行して週2~3回「療育」という訓練に通うため、送り迎えが必要でした。また小学校に入るといろいろなトラブルが起こって呼び出されることも多くて……。小学校は通常学級でしたが、親のサポートが必要不可欠なんですよね。

-今ほど働き方が多様化していなかったと思いますが、在宅勤務に対して周囲の反応はどのようなものだったのでしょうか。

当初は両親から「あなたが仕事をしてて子どもにかまってあげてないから、コミュニケーションが取れないんじゃないか?」「子どもに障がいがあるのに、働いている場合なの?」と心配されて、理解を得にくい時期もありました。療育の先生にも「家で8時間も仕事をしているお母さんなんて聞いたことない。ちゃんと子どものこと見てますか?」と怒られちゃって。信頼している人たちの言葉はさすがにこたえて、「私はダメな母親なんかな……」と葛藤しましたね。
でも仕事を諦めたら、「この子のせいで私は働けなくなった」と、きっと息子に八つ当たりをしてしまう。そう想像がついたので、あえて聞き流しました。

小学生になっても息子のサポートに軸足を置きつつ、働くことは諦めないと決めて。息子が荒れた時期は付き添い登校のために勤務時間を減らしてしてもらい、落ち着いている時期は出社日数を増やして働く、みたいなことを繰り返していました。
そんな不安定な状態でも、会社にいなくても、働ける時間はフルパワーで働く、納期を守る、アウトプットの品質を高める、レスポンスよく仕事を進める、自分から積極的にコミュニケーションをとるなどを常に意識し、信頼して仕事を任せてもらえるよう努めました。よく「そんな中で仕事をするのは大変そう」と言われましたが、「障がい児の親」としてではない自分として存在でき、自分自身を評価してくれる職場があったから、子どものことでつらい時期に踏ん張れた。

私にとって、仕事は負担ではなく、仕事に救われていたんです。今は働き方の選択肢も増えてきているし、かつての私みたいに悩む方には「頑張りたい気持ちがあるなら頑張ってみて!」と伝えたいです。

-子育てブログを書籍化した『無理なくできる! 発達障害の子が伸びるいちにちいっぽの育て方』が出版されましたね。これを機になにか変化はありましたか?

在宅勤務をしながら、日常生活の中で自閉症の息子への関わり方を工夫する「家庭療育」を行ってきたんです。広報の業務をする中で発信することの意義を感じていたので、わが家の家庭療育の記録をブログで発信していました。それをご覧になった出版社の方から声がかかって。

やっぱり出版の影響は大きかったです。見ず知らずの方から「本を読んで励まされた」とメッセージをもらったり、講演会やセミナーを行うと、遠方から新幹線や飛行機に乗って私や息子に会いに来てくださる方もいたり。私自身、いろんな方の子育てに関する発信に救われてきたので、私の経験が誰かのお役に立てているのなら嬉しいなぁと感じています。

私が土日にイベントやセミナーがあるときは、夫や娘が家事や息子の対応をしてくれていて、あんなに心配していた両親も、今では私の活動をすごく応援してくれていて、障がいのある長男の特性もよく理解して温かく関わってくれています。
出版記念イベントの日には、休日にもかかわらずたくさんの同僚がボランティアでイベント運営を助けてくれました。人とは違う働き方を受け入れてくださった職場の皆さんには、本当に感謝してもしきれません。

「我が子に幸せになってほしい」から、よりよい社会を目指して発信を続ける

-南條さんの今後の展望についてお聞かせください。

息子は2023年4月に中学3年生になりました。家族の協力もあり、2022年の秋からはようやく通常の出社勤務に戻ることができました。息子の成長に伴って、今後もまた新たな課題に直面すると思います。ただ、自分のメンタルや体力的にもっとも大変だった幼少期は乗り越えたので、これまでの経験をもとに子育てやキャリアに悩む方々の力になりたいです。

HORIBAの広報としては、事業を通してはもちろん、ダイバーシティの推進や次世代育成など、事業以外の活動でも社会に貢献していく企業風土の醸成やその発信により一層力を入れたいです。私自身も、「働きにくい私でも働ける」というひとつの事例を更新し続けることで、どんな人でも力を発揮して働ける環境作りに少しでも貢献できたら嬉しいなぁと思います。

5年前からは会社に兼業申請をして「一般社団法人チャレンジドLIFE」という団体を運営。障がい者雇用を進めている企業や、ダイバーシティをさらに広義で推進するべく動いているさまざまな方たちとともに、本気で社会を変えるぞ!という思いで活動しています。

会社って人生の中でも心身ともに活動的な時期を長く過ごす場であり、そこで取り組むことや関わる人たちとの時間が自分の人生に大きな影響を与えると思います。困難な時期にもHORIBAで仕事を続け、チャレンジを続けることができたその環境に心から感謝しています。その経験が、障がい児の親としての前向きなチャレンジにも繋がっています。

人って、自分や大事な人のためなら真剣になれるじゃないですか。その熱量をいかに仕事に繋げられるかが大切だと思うんです。私も「自分が楽しい」「我が子に幸せになってほしい」という自分の思いを起点に、人がいきいきと活躍できる企業や社会への貢献を目指して、これからも発信を続けたいです。

無理なくできる! 発達障害の子が伸びるいちにちいっぽの育て方

通常学級・家庭で困っている子どものために忙しくても家庭で続けられる取り組みやヒントがいっぱい!無理なく楽しく続けられる家庭における療育的関わりを紹介します。

インタビュー・編集:家本夏子 (株)エスケイワード
編集:菅野瑛子 (株)エスケイワード
執筆:日向みく

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