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インタビュー

40代で開けたデザイナーの道。誰かの成長や成功を支える喜びをもって進む。

今回登場する加藤有通さんは、企業向けのシステム開発などを行う総合IT企業、TIS株式会社でUXデザイナーとして働いています。

現在48歳の加藤さんですが、デザイナーの道が開けたのは40歳を超えてから。音楽活動やCADのオペレーターを経て、「ようやくやりたいことのスタートラインに立てた」と感じたのは45歳だったと言います。そんな加藤さんのキャリアを辿り、大切にしている思いをうかがいました。

加藤 有通さん
TIS株式会社 クリエイティブデザイン部 エキスパート/XD Studio(UXデザイン事業)責任者/人間中心設計専門家/UXデザイナー

音楽の夢を諦め、CADオペレーターへ

ー加藤さんはUXデザインの仕事をされていますが、どのようにキャリアをスタートさせたのでしょうか。

僕はキャリアが独特で、家が自営業だったのですが、父の病気がきっかけで店を継いで最初に料理の道に入りました。そのあと、音楽を始めてバンドで歌っていたんです。小さな事務所を地元に構えて、マーケティング活動をしながらプロモーションを頑張っていました。25歳くらいの時にインディーズデビューさせてもらったのですが、当時は1年で印税が1万円くらい。鳴かず飛ばずでバイトをしながら生活をしていましたが、あるライブでのちにプロになったボーカルの人の歌を聴いた時、努力では超えられない壁を感じて、自分はプロになるのは無理だと痛感しました。

そこからどうしようかなと思った時に、当時付き合っていた彼女(今の妻)が、大手建設機械会社の求人チラシを見せてくれたんです。ゼロからCADを教えてくれるというもので、面白そうだし、家から近いこともあって、CADを学びました。それでそのままその会社でCADオペレーターとして働き始めました。ただ、当時はご飯を食べていくためだけにやっていたという感じでした。

ー「ご飯を食べていくため」という意識だったんですね。仕事に対する意識が変わるタイミングがあったのでしょうか。

きっかけは病気になったことです。薬も効かず苦しんでいた時期があり、リハビリを受けて2年ぐらいかけて回復しました。それで音楽の夢は諦めたけれど、もう一度人生をやり直してクリエイティブなことをしたいと思いました。もともと若い頃は美術もやっていたのでアーティストのような活動が好きだったんです。

それまで「サラリーマンか、クリエイターか」と考えていましたが、今の仕事でサラリーマンをしながらでもクリエイティブなことはできるなと思ったんですね。そしてその頃、社内で課題を発見してバックキャストで手段を作る活動を行っていて、応募してみたら僕の作ったものが評価されたんです。それがきっかけで、自分はこういうことに対して才能があるんじゃないかと思うようになり、デザイン思考の勉強を始めました。

すると、これってバンド活動でやってきたことと同じだなと思ったんです。目の前にいるお客さんが今何を聞きたいかを考えて、他のバンドとの差別化も考えて、作曲してフィードバックをもらって改善する。これはまさにデザインだなと。

運命を変えたビジネスプランコンテスト

ーこれまでやってきたことが繋がったのですね。

そこから今度は、グループ会社全体を対象にしたビジネスプランコンテストに応募したんです。すると世界500件中の上位5位に入って、親会社の社長直下の部署に出向することになりました。それでビジネスデザインの方に入っていったんですね。

ービジネスプランコンテストでは、どういうところが評価されたとご自身では思われますか。

当時はソリューションビジネスみたいなものが全然わかっていなかったので、まともに応募しても勝てないし目立たないと思ったんです。それで、音楽をしていた時代に自分でポスターを作っていた経験を生かして、おしゃれなプレゼン資料を作りました。めちゃくちゃエモいものを作ってやろうと思って(笑)。ただ、規定の応募フォーマットがあり、そのまま提出するとルール違反になるんです。だから作ったプレゼンを応募フォーマットに貼って提出しました。審査の方に聞くと、一次審査を通過した中で僕は最下位だったのですが、「中身はダメだけど、こんなことしてくるやつはいないから何かあるかもしれない」と、僕を残してくださったそうです。

二次審査でも、部長クラスや社外の有識者から、過去にどこで勉強してきたかと聞かれて、バンドで勉強してきたと言うと「なんだこいつは」と(笑)。それで残していただいたんです。

40歳を超えて、デザイナーの道へ

ー音楽の夢を諦めてから、何かそれに変わるものを見つけたいという気持ちは持っていましたか。

そうですね。絵本を描いてみたり、いろいろとしていたのですが、しっくり来るものがありませんでした。けれど、ビジネスデザインを始めると、今までやってきた曲作りであったりアートやマーケティングが全部ビシッとはまったんです。40歳になる手前の頃でしたが、それまで積み重ねてきたものが活きた瞬間でした。

ー素晴らしいですね。TIS株式会社に転職してデザイナーになったのは、どのような経緯だったのでしょうか。

ビジネスプランコンテストがきっかけで親会社に2年弱ほど出向し、そのあとは元の会社に戻って新規事業のサービスを作ったり、ソリューションの中で使われるアイコンを作ったりということをしていました。この頃に経産省主催のイノベーター育成プログラムに合格して1年くらいかけて勉強をするのですが、そこでTISの社員の方と出会い、誘っていただきました。TISへの転職は42歳の時でした。

ー前職でビジネスデザインの分野で仕事をされて、転職をする頃はデザイナーとしてやっていこうと考えていたのですか。

いえ、前職の最後の頃は、自分が何をやりたいのか悩んでいたんです。自分が主役になるのではなく、誰かが成長したり、成功するのを助けたりする存在になりたいなという思いがありました。自分は過去にいろいろなことがあったけれど、それは全部ひっくるめて意味があった。同じように誰のどんな人生にも意味はあって、それを見つけてあげられるような人になりたいと思っていて。だから教育の道もいいかなとも考えていたんです。

デザイナーという道があると思ったのはTISに入社することになってからですね。もともとデザインは好きだし、新規事業をしたい人をデザインで支えることができたら、それが自分のやりたいことなんじゃないかと。それでたくさんの人を支えて笑顔を見ることができたら、それは最高にハッピーかもしれないと思いました。

ーTIS株式会社ではUXデザイナーという肩書きですが、どのように仕事に入っていきましたか。

僕が入社する前、社内ではデザイン思考を勉強して組織を立ち上げようとしたけれど、うまくいかなかったそうです。それで外部の人を呼んでみようということで僕が入社したのですが、最初は周りもエンジニアばかりだし、何を頼んでいいかわからないという状況でした。とりあえず「何でもやります」といろいろと声をかけて、それこそプレゼンの資料を作るところなどを手伝っていました。

UI(ユーザーインターフェイス)も経験がなかったのですが、「できない」と言うと次から仕事が来ないから、会議でわからなくてもどうにか乗り切って、あとから本で調べるという、しばらくハッタリの期間がありましたね(笑)。体が動く限りはとにかく仕事して、短い期間で一流になってやろうと思っていました。

ーデザイナーとして頭角を表そうというか、結果を残してやるぞという気持ちがあったのでしょうか。

モチベーションとしては、いろいろな人を支える人になりたいと思った時に、「この人に支えられたい」と思われないとダメじゃないですか。そうなると、やっぱり力も必要だし、ある程度名前も売れてないといけない。今はそこをちゃんとやっていくべきだなと思ったんです。ちゃんと力になれるだけの力をつけるために、頑張ってきた感じですね。格好良く言うと(笑)。

ー仕事に手応えを感じたのはいつ頃でしたか。

デザイナーと名乗ってもいいなと思ったのは3年くらい前ですね。いくつかの仕事で手応えを感じた瞬間があって、ようやくやりたいことのスタートラインに立てたなと思いました。

ーいいですね。世の中的には、40代半ばになるとベテランとされる部分もあると思いますが、すごくフレッシュというか。

盛者必衰ってあるじゃないですか。「俺はすごい」と思ったら、あとは落ちるだけなんですよね。だからいつまでもすごいと思わないでいたら、どこまでも伸びるんだろうなと。体力はついてこないのですが、気持ちだけはそうありたいと思っています(笑)。

人の上ではなく前に立ち、後から来る人を守る

ー現在、TIS株式会社に入社して5年が経ち、いちデザイナーではなく責任者という立場になっています。プロジェクトのマネジメントに対してはどのような考えでやっておられますか。

みんなにやる気になってもらって、チームを前進させるのがマネジメントなのかなと思っています。僕は、役割はあっても上下関係はないと思っていて、後からついてくる人に何かあれば、最初に守る人になるというイメージですね。上に立つのではなくて、前に立つのが役割なのだと思っています。

ーそのマネジメントのスタイルは、どのように見つけていかれたのでしょうか。

マネジメントを学んだ経験がなく、やっぱり最初は自分でやろうとしてしまっていていたんです。ただ、チームで一緒に働いていた子が「ここは僕やりますよ」と言ってくれて、それで逆に「こういうことは任せてもいいんだ」と教えてもらいました。彼らは開発の経験も持っていて、人とのやりとりも上手なんです。そこを見ながら、という感じでしょうか。

そもそも何かを成し遂げようと思ったら、一人ではできることも限られていて、力を貸してもらうしかないんですよね。その時にリスペクトがなかったら力を貸してもらえないと思っていて。だから誰よりもリスペクトができたらいいのかなと。僕は引っ張っていくタイプじゃないので、それぐらいしかできないなと思ったんですね。

ー加藤さんの優しさがすごく伝わってきます。

照れちゃいますね(笑)。25歳くらいの時はガリガリの金髪で、目つきも悪くて、ウイスキー片手にステージに上がってみたいな感じでしたが、大人になりました(笑)。

ー今と全然違いますね! 今はお話をしていてもすごく穏やかで。

やっぱり病気になったのが大きいですね。本当に苦しかった時、1歳の長男をあやしながら「もうダメかもしれない」と弱音を吐いたことがあります。その時、長男が僕のお腹の上に乗ってニコッと笑ったんです。子どもだから忖度がないじゃないですか。長男の笑顔を見たときに、絶対に病気から復活すると思ったし、無条件に愛されてるなと思ったんですね。

同じように誰でも大切な人、自分のことを思ってくれる人は必ずいて、その人がどういう背景で生きていても、そこはやはりリスペクトしないといけないとは思っています。

ー加藤さんは今48歳でいらして、これから50歳も見えてくるかと思うのですが、この先のイメージはどんなふうに描いているでしょうか。

やはりデザインでみんなに貢献して、TISをもっと大きくしていきたいですね。

ぼくは、大企業の方々が大好きなんです。大企業の人たちって、いろいろなしがらみがある中で、一生懸命勉強してアウトプットをするじゃないですか。そこがアップデートされれば、日本はもっとすごくなると思っているんです。頑張る大企業の人たちの成長や成功のお手伝いをして、日本の社会に貢献できる人になりたいですね。

自分の体験を伝えて、元気になってもらいたい

ー40歳を超えてからデザイナーの道に踏み出し、花開くところが素晴らしいなと思います。

若い頃は「何のために生まれてきたんだろう」と考えて悩むことがありましたが、生きていくことにはいくらでも意味をつけられるなと思ったんですよね。それがわかるのに40年かかったけれど、そこが見つかって、そこからは最高に人生が楽しくて、毎年幸せ更新中みたいな感じです(笑)。

ーご自身は組織の中にいますが、組織の外にも目が向いているのですね。

そうですね。やはり社会の中の会社だと思っていて。TISはすごく好きなので、定年になってもういらないと言われるまではしっかり頑張りますが、ただ、そこが人生のゴールではありません。最終的にはいろいろな場所に講演に行って、実体験を踏まえて「人生はどうにでもなる」というところをお伝えして、人に元気になってもらいたいです。それで、クリエイティビティを発揮して、何かを生み出せる人が増えるといいなと思っています。それでおじいちゃんになって、いろんな人に惜しまれながら死ぬという(笑)。

うまく言えないのですが、毎日が「これで終わり」と思って過ごすのはしんどいし、明日は必ず来るだろうと思って生きていますが、でもいつか終わりは来ます。そこは意識しておきたいなと思いますね。

貴重なお話ありがとうございました。

インタビュー・編集:扇本英樹 (株)Sparks
執筆:梅田梓

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