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インタビュー

自分に向き合うということは「はだかの自分」になること。探究心を持って、人と関わり続ける。

今回ご登場いただくのは、個人でコーチングを提供する「挑戦する大人の伴走者」こと小川恵子さんです。小川さんが目指すのは、「なかなか思い通りにはならない」と悩んでいる大人たちの「本当はこうしたい」を実現していく社会。そんな小川さんが、これまでむかえた転機と、「コーチング」に出会い仕事にするまでのユニークなキャリアをたどりました。

Profile/
小川恵子さん
プロフェッショナルコーチ/キャリアコンサルタント
※2023年7月現在

飲食物を提供する接客の楽しさから、人の成長に興味を見出す

ーまずは、小川さんの現在のお仕事について教えてください。

コーチとして、個人や法人にコーチングを提供することが主な仕事です。また、コーチになりたいと思う方の事業を立ち上げるサポートや、40代以上のキャリアをその人が望む形で実現していくためのサポーターとしてのお手伝いもしています。
自分がやりたいと思うことを、心のおもむくままに実践しています。

ー社会人のスタートには飲食の接客業を選んだと伺いました。接客業の魅力はどのようなところにあったのでしょう?

お客様とのやり取りに、面白さとやりがいを感じていましたね。もちろん、いいことだけではなく怒られることもありました。しかし、それも含めてお客様の反応がすぐわかるところに魅力を感じていたんです。
同じ接客業では、学生時代に本屋で働いた経験もあります。しかし、扱うものが「本」か「食べ物」かの違いが、私にとっては大きな違いでした。食べ物の方が圧倒的に楽しかったんです。

人間は生きものですから、食べないと命を維持できないし変なものを食べると体を壊します。だからこそ、異物が混入するとお客様に大変なお叱りを受ける。そういった「生のモノ」を扱っているというギリギリ感にやりがいも難しさも感じていました。
でも、それらを無事にお客様に届けられ、喜んでいただいたり感謝されたりしたときの嬉しさと感動は計りしれないものでした。難しさがあるからこそ喜びも大きいことが、私の思う飲食業での「接客の楽しさ」ですね。

ーその後、飲食業の現場は離れて、人事の仕事に就かれたんですよね。

はい。現場でマネージャーとして教えていくなかで、人によって覚える速度や才能を発揮できる場面が違うことに気づいて。人間の学びや成長がこんなにも違い、やりたいことも違うということが面白く感じたのです。

人はやりたいこととやっていることがピッタリ合うとすごく伸びます。一方、それがずれていると伸び悩みます。そのようなことを現場感覚として肌で感じ、人がありたい方向へより成長する仕組みや制度などを作る方向に進みたいと思ったんです。
そう思っていた矢先、知り合いから「実はこんな人事の仕事があるけどどう?」と打診を受けて。やったことのない内容ではあったものの、これも私の挑戦だと思いお受けしました。

入社してみると、現実はそこまで甘くなく困難の連続でした。なかでも難しかったのは、「会社のカルチャー」の違いです。一社前は外資系の会社でしたが、人事を任された会社は創業何十年の歴史ある日本の会社。まったく違うカルチャーで、中途入社してきた私が意見をいえる環境ではありませんでした。
うまくいかないなかで、改めて自分自身の「働く意味」について考えてみると、私の働く意味は、「働く人たちの仕事を通じた成長を支援することだ!」という答えが出て。支援したい相手、私にとっての顧客は誰なのかと考えたとき、それは「現場で働く人たちだ」と気づいてからは、「直接声を聞こう!」と本社のオフィスを飛び出して何度も現場に足を運びましたね。

「人がキラッと輝く瞬間」に立ち会う仕事がしたい

ーその人事のお仕事はずっと続けられたのですか?

また次の出会いがありまして、インターネットでの教育事業を展開する会社へ移ったんです。
その当時は2002年、まだ社員研修は大きな会議室に人を集めるのが当たり前だった時代。インターネットの常時接続は珍しく、動画配信もない時代でしたが、いち早くそこに手を伸ばしている会社でした。
この会社に飛び込んだ理由はふたつあります。

ひとつは、お客様と直接会わずネットを通じて、サービスを届けるだけでなく満足度も追求していくという挑戦に、強い好奇心が芽生えたこと。今ではWeb面談も当たり前ですが、当時は電話やメールでのやり取りが主流でした。お客様とじかに接することができない制約があるなかで、どう学びを届け、サポートしていくのかに挑戦したいと強く感じました。

もうひとつは、「創業間もない会社ですべてを作り上げていく経験ができる」と考えたからです。これまで、仕組みが成熟している会社で経験を積んできたので、今度は「何もないところから仕組みを作り上げることに挑戦したい!」という願望がありました。

この会社では、仕組みやシステムを作ることに関わったり、マネジメント教育のコンテンツを作ったり、社内の業務改善を担ったりしました。そのほかにもマーケティング施策をどう打ち出していくかの戦略を立てるなど、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。
新規事業の立ち上げに関わるのは本当に大変でしたが、その反面とても楽しかったのです。それは、「やりたい!」と手を挙げると、任せてもらえる環境にいたからでしょうね。とても感謝しています。

―なるほど。その会社に17年間お勤めになられて、コーチとして独立されたんですよね。どんなきっかけがあったのですか?

そうですね。なにか決定的なことがあったわけではなく、「自分の心が沸き立つ瞬間に気づいた」という感じです。

事業作りや学びのコンテンツ作りは、楽しくてやりがいはありました。
でも、みなさんの話を聞いたり人生に触れたりする中で、その人がキラッと輝く瞬間に立ち会うほうが、圧倒的に自分の感情が動くことを知ったのです。

私の仕事への想いには、人に対する興味関心がベースにあります。そのため人の成長や学び、人生にもっと寄り添っていくにはどうしたらいいのかと考え、コーチングを学び、副業として実践していました。
そんなふうにコーチングと向き合っているうちに「もしかしたら自分の軸はこちらを向いているのかな」と感じることが増えていったのです。

プライドもキャリアもすべて失ったときに気づいた「大切なこと」

ー独立も経験された小川さんにとって、「ここが一番の人生の転機だった」と感じるところはどこでしょうか。

確実にふたつはありますね。

ひとつ目は教育事業会社で働いているときでした。
大きなプロジェクトを任されていましたが、急に体調を崩し入院してしまったのです。3週間ほど一切何もできなくなりました。プロジェクトが佳境を迎える時期だっただけに、周りに大変迷惑をかけたし、病院のベッドの上で言葉に表せないほど悔しい思いもしました。
それでもなんとか復職したとき、プロジェクトは自分がいなくても成功していました。しかも、自分は知らないうちに違う部署に異動になっていたのです。
会社は当然の判断をしたと今なら思えるのですが、当時の私にはそのことが理解できませんでした。被害者意識満載で全然納得できず、もうキャリアも仕事もすべて失ったと思いました。
ずいぶん落ち込んでいたのに、その姿を見せることすら悔しくて、常に元気なふりをして。だけど会社を出た瞬間には、涙がボロボロ流れて夜になっても止まらず、悔しくて眠れない日々を過ごしました。

そんな日々を3ヶ月ほど過ごしたある日、自分を受け入れられた瞬間は突然やってきました。
プライドも、キャリアも、仕事への熱意もすべて失ったあるとき“はだか”でこれ以上脱げるものも、失うものもないのなら、ここからまた始めればいいのかなと思えたのです。さらに自分は今まで、会社のため、評価されるために、仕事をしていたのだと気づき、「仕事は自分のためにやるもの」だとはじめて腑に落ちる感覚を得ました。

もうひとつの転機は、カナダ人である今の夫との出会いです。
欧米の文化で生まれ育った彼と過ごすことで、日本でしか生きたことのない私はとても小さい世界で生きていたのだと実感したのです。世界は広いことに気づき、もっと世界のことを知りそこで生きる自分を見てみたいと、強く思い描くようになりました。

ーそのようなご経験もあったのですね…。

演じていた役割を捨て、「本来の自分」に

ー小川さんにとって「40代」は、どんな時代だったと表現されますか。

変化が激しく、とても「濃い」40代でした。今までの変化とは比べものにならないほどの大波が来て引いていき、またさらなる大波が来て引いていくイメージです。
大切でなかったものは、引く波とともに剥がされていく感じで、たくさん装備していたものが剥がされ”はだか”になっていく。そんな感覚でした。

一般的に40代は、たくさんの役割を抱えている方が多いと思います。たとえば職場では「上司」でありながら、家庭では「お母さん」であるなど、環境によって異なる役割を抱えている年代だと感じています。
役割や関わる人との関係性が複雑に入り組んでいるからこそ、自分がどうあるべきか、きちんと向き合いたいと考える人が壁にぶち当たる。そして答えが出ずにモヤモヤしたり、もがいたりというのは、40代に多いのかもしれませんね。

―40代を経て、これまで演じていた「役割」を捨てて、はだかの自分でいられる感覚を得たということですね。

そうです、そうです。今は本当に「本来の自分でいられる」と胸を張って言えます。
自分はこういう人だ。と思い描いていたのに、まったく違っていたと認識できたのが40代です。アイデンティティがひっくり返るというか、自己認識がどんどん塗り替わって新鮮でした。

ー自分と向き合うというのは意外と難しいことですよね。小川さんにとっては、どういうことでしたか。

たとえば冬、外の風が冷たくても、ダウンジャケットを着ていれば暖かいですよね。暖かいのに、あえて冬の寒さを体験しようとは思いません。
それは寒さが嫌だったり、不安だったり、本当は何が起きているのかを直視するのが怖かったり、という思いがあるからだと思います。

今自分の人生を振り返ると、多少火傷を覚悟してでも握りに行かなきゃいけないものから距離を置き、安全なところで生きていたように思います。
40代になりさまざまな変化を体験したことで、自らダウンジャケットを脱いで寒さを感じてみようと思う自分に出会えました。寒いけど、こんなフレッシュな空気に触れることを「心地いい」と感じられるんだ!と。

そんなことを繰り返しながら少しずつ、ありのままの自分を受け止めています。自分と向き合うということは、「はだかの自分になる」ことなのかもしれませんね。

「やりたいことをやっている人」の輝きにあふれる世界をつくりたい

ーこれからの小川さんがどうなっていきたいのか、何か思い描いていることはありますか?

私は「コーチング」を、多くの人に知ってもらいたいと思っています。
コーチングとは相手を尊重し、存在そのものの力を信じて人と関わることなのだと私は思っています。その関わりが、人にどれだけ勇気と安心を与えるかを知ってほしいのです。

なかなか自分の思い通りにはならないと考えている大人が、一人でも多く「本当はこうしたい」を全部、実現していく社会。そんなキラキラ輝いている大人を見て、子どもが育つ環境を作りたいと思います。子どもたちが「あんな大人になりたいね」と思うことが循環する世界になったらステキですよね。

「やりたいことをやっている人」は輝いていますよね。その輝きで、世界がより明るくなるといいですし、私もそのなかにいたいと思います。だから私自身も輝けるよう、自分がやりたいと思ったことは、まず挑戦してみようと思っています。
やりたいことをやっているという満足感は、多分今が人生で最高潮ですね!

ー人に対する興味関心がベースにあるという点は、これからも変わらないのですね。

そうですね。「人」の面白さと無限の可能性に答えはありません。そこへ私が探求心や、遊び心を持って関わることで、相手の人生が変革する。この答えのない感覚は探求しがいがあってとても楽しい。だから、私が人に関わるということは、この先もずっと変わらないと思います。

一方で、食べ物への興味も再認識しているんです。「食堂のおばちゃん」が私のありたい姿を体現するものだなと気づいたので、いずれ実現させたいと思っています。

ーあたたかい場所になるのでしょうね。オープンしたらぜひ行かせてください!

インタビュー・編集:家本夏子 (株)エスケイワード
執筆:日向くらげ AlphaBloom

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