これからの40代に贈るWebメディア「となりのイトウさん」。今号は個人の想いにフォーカスして、伊藤さんがピンチを乗り越えた軌跡をお届けします。
profile/ 伊藤智彦さん:株式会社エスケイワード TOKYO BRANCH プロジェクトマネージャー <記事内に登場する人> 沢田圭一さん:株式会社エスケイワード取締役COO 扇本英樹さん:株式会社スパークス代表取締役 /エスケイワードTOKYO BRANCHクリエイティブユニットリーダー (記事内は敬称略)
伊藤さんのお仕事は?
ウェブの会社で16年。プロジェクトマネージャーとしてシステム比重高めのものからデザイン比重高めのものまで、数々の大型案件で成果を出し続けるオールラウンダー。
プロジェクトマネージャーって?
案件の責任者として、品質保持から予算調整までトータルで管理をする職種。
伊藤さんの‘ココがすごい!’
プロジェクトマネジメントの手腕が半端なく優秀。10年以上、関わったプロジェクトでの炎上経験はゼロ。クライアントからの信頼も厚く、伊藤さんがプロジェクトに参加するとクライアントもメンバーも安心できる頼りになる存在。
サムライ精神で走ってきた16年
現在41歳、これまで3年間兼務してきたGM職(部長)を外れ、この春よりウェブ関連のPM(プロジェクトマネージャー)専任で業務にあたっています。大学の建築学科を卒業後、新卒で大手建材メーカーに就職し設計部門で仕事をしていました。大手企業では役割分担が明確で、裁量権も限定的。そこである程度自分で裁量権を持ち問題解決ができる仕事がしたいと思い、ウェブ業界へ転職。ウェブ業界が伸び始めた時期だったので、当初は身軽に動けましたが、結局案件が大きくなると関わる人も増えてきて(笑)。そのまま現在の職場に16年在籍しています。
— 管理職を兼任していたときの働き方を聞かせてください
GM職に就いたのが約3年前。手探り状態でのスタートでした。部署のメンバーは30名、4チームに分かれていました。試行錯誤しながら、何かあれば私が直接介入するスタイルをとっていました。一方でプレイングマネジャーとして自身の案件のディレクションもこなしつつ、「売上目標の達成」という大きな責任がついてきた。その結果、限界が訪れることに。
— 限界はご自身で判断されたのですか?
頭痛をきっかけに体とメンタルの問題がでました。「自分を追い込むタイプの働き方×体調不安」で、今度はメンタルに変調をきたし…これまでとちょっと違う感じだったので病院にいきました。それまで‘弱みを見せちゃいけない’と考える性格だったので誰にも相談をしていませんでした。内科で総合的に診てもらい、診断名がついたところで会社に報告。部のメンバーにも「助けてくれ」とようやく話すことができました。GMとして目標必達のために「自分でなんとかしよう」という思考で走ってきたのですが、持続可能な働き方ではなかったということですよね。
「気づけた」ことが財産
— 会社に報告する際、相談した相手は?
経営陣とGM職の同僚に報告した際に、取締役COOの沢田さんから声をかけてもらいました。私の不調の‘本質’を理解した彼は、部署異動を含めたフォローをしてくれることに。私が得られた支援でラッキーだったのはこの3つです。
- 働く環境の再整備
- 異動先で一緒に働くメンバーとの前向きな一体感
- 沢田さん、扇本さんという、社内外のメンターとの出会いと交流
具体的には、私の勤務地はそのまま名古屋本社で、所属を沢田さん直轄のTOKYO BRANCHへ。GM職を離れてプロジェクトマネージャーに専念することになりました。自分の得意分野に集中できる環境となり、一緒に動くメンバーにも恵まれました。また扇本さんなど外部の方との交流の機会を得たのもありがたかったです。
—「交流の場」とは具体的には?
扇本さんに声がけいただき、オンラインで話をしました。彼が投げかけてくれる外部の視点が私には新鮮で、社外のモデルケースを紹介してくれて「こんなやり方や考え方があるんだ」と気づきを得たり。「一緒に新しいプロマネのスタイルをつくっていきましょう」と心強い支援をいただきました。気持ちが落ち込んでいるときは、自分が進む道がなかなか見えないんですけど、声がけいただくことで、‘少しずつ変わっていけばいい’と思えてくる。自分が全部引き受けて頑張らなくても、チームとして案件を進めていける、最終的にいいものをお客さんに渡せるようになる、と気づくことができ、少しずつですが「これを学んでみたい」「こんなことに興味があるな」と気持ちが前向きになっていきました。
— 働く環境が変化して、一番大きかったことは?
気持ちが解放されたこと、やることが明確になったことの2つです。‘あれもこれも’じゃなくなったことが大きいです。得意・不得意も関係なく全部引き受けていた部分を、自分が「得意」としているところに集中できるようになった、という環境ですね。あと異動した先の部署で自分が必要とされてることが伝わってくるので、それもありがたいです。
— 伊藤さんはとても責任感が強い方なんですね。
仕事に関しては多分そうでしょうね。仕事の棚卸しをして業務量が多すぎることに気づきました。古い世代のやり方、みたいな。頭痛が起きなかったらそのまま走っていたと思うので、気づけて良かったと思っています。お医者さんからも言われたんですけど、年齢的に健康不安も出てくるので、それがきっかけでメンタルに不調をきたす人が多い、と。しんどい時にはしんどいと言う。アウトプットすることが変化のきっかけにもなると思うので、もし今悩んでいる方がこれを読んでいるなら、ぜひ誰かに話してみることをお勧めします。
人は変われる!
— 環境が変わってからどうですか?
「こういうことをしてみたい」とメンバーに気兼ねなく話をすることができる、そんな余裕が出てきました。それに対して反応があると、提案して良かったな、と思えるし、扇本さんと話すことで社内外の方々とのつながりが増えて視野が広がっていくのを実感しています。
例えば、様々な業界の「プロマネ」が登壇するセミナーに参加し、「プロマネもやり方はいろいろある」と興味が湧いてきて。その延長線上に学びの場があり、PCC(プロジェクトクライミングチャレンジ)という勉強会に参加しています。それは、プロジェクトを山に例えて地図を描き、クライアントも含めてより安全に皆で一緒にどう登っていくのかを考える取り組みです。全8回の勉強会ですが、学び始めてから多くの気づきがありました。ウェブ業界だけではなく様々な分野のプロマネの方、社内プロジェクトやNPO、行政の方もいるので、彼らと話してみると結局みんなの課題は同じだなと気づいたり。
— 具体的にはどんなことでしょうか。
プロジェクトがうまくいかないときって、視野が狭くなっていることが多い。クライアントを含め、メンバーを巻き込めていなかったり。あとはプロジェクトの「盲点」を最初にできる限り見つけておくことも重要で、例えば「人が辞める」とか「突然、決定権のある人が横ヤリを入れてくる」等の事例を共有しておく。また「無知の知」というキーワードもあります。よくあるのが、クライアントからの要望に過集中してしまい、本来大切にすべきクライアントの先にあるエンドユーザーのことを誰も考えてなかった、とかね。そんなことを山登りに例えながら議論を進めていくと、理想のチーム像というのは、プロマネが一人で一生懸命引っ張って行くのではなく、メンバーが自発的にどんどん動いていって、プロマネの役割はプロジェクト進行中に「変数」(想定と違う事象)が出てきた場合に、適切な判断をして全体最適をはかることなんじゃないか、と気づくのです。その結果プロジェクトとしてより良いものになる。
これまで私は「自分がプロジェクトを引っ張っていかなきゃいけない」という考えに囚われていたのですが、「人を巻き込んで得意な人にやってもらう、適材適所を考えて配分した方が、成果物としてはいいものができる」という進め方は目からウロコでした。学んだり知識を得ることで、今の仕事に応用できそうだな、こういうのをやってみたいな、と具体的に全体像を描けるようになったのが大きな変化です。
— この先伊藤さんが進む道は?
会社で若い子たちから「伊藤さんみたいになりたい」と思ってもらえるモデルケースになっていきたいです。小1の娘の存在も大きいですし、妻も働いているためバランスを考えなくてはいけません。特にコロナになって子どもたちの未来を考えるようにもなりました。
そう思うと、私自身がまず新しい働き方、新しいプロマネ像を確立していきたい。そこに人を巻き込みながらやっていきたいと思っています。エスケイワードを選んで入社してくれる子たちへの教育体制づくりも今後の個人的な目標です。
会社員が給料をあげるには役職に就くしかない、という道だけではなく、専門職、プロフェッショナルになる道もあるし、こういう働き方もできるよ、と体現していきたいです。視座を高くして、後輩たちに道を示しつつ、変化していく世の中に柔軟に対応できる自分でありたいです。
インタビュー・執筆:村田真美 (株)mana 編集:扇本英樹 (株)Sparks
「伊藤 智彦」さんをもっと知る
インタビューの後日談を、ナビゲーター夏子さんとの対談音声でお届けします。