組織の名脇役にスポットライトを当てるメディア

インタビュー

商品の良さを伝えたい。研究職のキャリアを生かし、伝わるオウンドメディアを作り上げる

今回ご登場いただくのは、ライオン株式会社に勤めて約20年の青嵜(あおさき)さん。入社後10年間の研究職生活を経て、自社のウェブメディア“Lidea(リディア)”を運営する編集担当へ。現在は責任者の一人として多くのスタッフと関わりながら、コンテンツを作っています。そんな青嵜さんのこれまでの歩みや、未来像をうかがいました。

青嵜 洋子 さん
ライオン株式会社 Lidea編集長
※2023年8月現在

研究職を受けた理由は「同じメンバーで淡々と業務を進めたかったから」

ー青嵜さんの現在のお仕事を教えていただけますか。

2014年にローンチしたLidea(リディア)というライオンのウェブメディアを運営しています。当社は主に生活用品の会社なので、生活者の方の毎日の暮らしをちょっと豊かにするようなコンテンツを提供するメディアです。

ーもともとライオンは新卒で入社されたんですよね。

そうです。大学院卒業後、入社して最初は目薬を開発する研究所にいました。そこから洗濯用の洗剤、柔軟剤、布製品用のスプレー剤の開発と移り変わり、研究所はちょうど10年くらいいましたね。

ーライオンに就職するのはどういった流れだったのでしょうか。

私はこれと言って明確にやりたい仕事というものが決まっていなくて、採用してくれた仕事を楽しくやれれば、とりあえずいいかなと思っていたんです。だから就活は、面白いと思うものを片っ端から受けていました。例えばウェディングプランナーとか、大手文房具メーカーの企画、あとは学生時代にミュージカルをやっていたので、ミュージカルの企画運営会社も考えました。

ライオンは、大学でお昼に歯磨きをしている時にふと歯磨き粉のパッケージの裏側を見たら製造者がライオンと書いてあって、普段使っている信頼できるメーカーだし、じゃあライオンにエントリーシートを送ろうかなと思って、送ってみたら受かってしまったという(笑)。

ーライオンはいろんな職種があると思いますが、研究職で受けたのですね。

そうです。「研究職なら」と思って受けました。実は先ほどの話と矛盾しますが、私は毎回初めて出会う人たちと仕事をするよりも、固定化された同じ人たちと黙々と何かを作り上げることが好きなんです。大学ではパソコンを使ってソフトをプログラムをする研究室にいましたが、ひたすらプログラミングしたり、ホームページを作ったりと、そういうデスクに向かって淡々と集中する作業が大好きで(笑)。ライオンの中でも研究職につけば、同じ研究所の人と黙々と仕事をすることになると思っていたので、自分に向いていて面白そうだなと思って。

また、お電話で内定の連絡をいただいた時に、当時の採用担当の方がたまたま同じ中学校の出身ということがわかって、すごく親近感が沸いたことも大きいです。地元から東京に行くのに、そういう方がいらっしゃるのなら心強いかもとも思って。

どう見せたら人に納得してもらえるか。「デモ実験」の面白さ

ー最初は目薬の開発ということでしたが、実際に仕事をしていかがでしたか。

私は院卒で就職したのですが、最初に配属されたのが薬品の研究所で、研究職の同期の中でその部所の配属は私だけだったんです。数十人程度の部所でしたが、当時は若い人がすごく少なくて、夜になるとバスもなくなるようなところだし、同期も友達もほとんどいなくて寂しい。そもそも私は学生時代の専門がプログラミングだったので化学実験の基礎がほとんどなくて、実験道具の使い方も何もよくわからなかったんです。部所の先輩方もみんな忙しそうで話しかけるのも申し訳なかったし、でも何をしていいのかわからない。ようやく業務を任せてもらえるようになった時期には、目薬の発売のために、ちゃんと成分が入っているか、安全性に問題がないかなど、承認を取るための実験をとにかくたくさんやりました。

当時は、これらの業務をすごくつまらないと感じていました(笑)。今振り返れば、その時に実験の基礎が学べたし、なかなか経験できない薬品開発の現場にいられたのはすごく貴重な体験でそれが今の自分に役立っているのですが、その時は自分に合っている業務が何なのか、分かっていなかったのでしょうね。
※ちなみに今は人事制度も変わって、私のいた頃よりも新人の配属先や配属後のフォローが厚めになっているようです。

ーその時代はどれくらい続いたのですか?

目薬の開発をしていたのは数年でしたね。そのあと異動して、次は洗剤開発の部所に配属されました。私のいたチームは洗濯用の粉洗剤の開発がメインだったのですが、業務の一つに、作った新製品の良さをバイヤーさんに知ってもらうためのデモ実験の制作があるんです。よくデパートとかで実演販売しているような、例えばコップに洗剤を入れて、別のコップに汚れた布などを入れて、混ぜてこんなに汚れが落ちましたー!という、ああいうデモ実験方法を研究員が自ら考案することがあるんですね。私はそれを考えるのが結構得意だったんです。どうしたら見る人がその良さを納得して、面白いと思ってもらえるかを考えるのが楽しくて。当時その粉洗剤は当社ではイチオシの新製品だったので、予算ももらえていろいろな地域に出張してデモ実験をしたり、商品を紹介するためメディアを訪問する「メディアキャラバン」をしたりと、すごく楽しい体験をさせてもらいました。

ーそれは今のウェブメディアを通してユーザーに伝える仕事にも繋がってくる内容ですね。

そうなんです。私は人に物の良さを知ってもらうために工夫する作業が好きなんだなと、その時にすごく思いました。

ー洗剤のお仕事はどれくらいやっていらしたのですか。

3年くらいだと思います。世間のトレンドに合わせて部所の体制なども代わり、その時に私も異動することになりました。

ー時代でニーズが変わってくると、組織内のチーム編成もどんどん変わって行くのですね。

変わっていきますね。私は入社20年目になりますが、世の中のニーズやトレンドに合わせて会社の体制などもどんどん変わるので、そこで自分が何をやるかをずっと考え続けていかないといけません。それは今の仕事もそうですし、今までもそうだったと思いますね。

振り返って考えると、研究職は楽しかったです。いろんな商品がどう作られているか、どこにこだわっているかといった基礎を10年かけて学べました。一般の人は商品の裏側を知らないじゃないですか。「こうやって作っているからすごく効果があるんだ」とか「だからこの組成になっているんだ」といった、物事の裏側がわかるのは面白かったですね。

外に出ていろんな人に会ったり初めての経験をすることは、自分はあまり好きじゃないと思っていましたが、暮らしのものを作るのだから、会社の中にこもっていても良いものは作れません。学会に出たり、バイヤーさんのところに行ったり、あとは実際に一般のご家庭に訪問してどうやって洗濯しているのか見せてもらうなど、外に出ないと学ぶことはできないということを身を持って体験しました。実は、今になってそれはすごく自分に向いていたんだ思えます。

ーそこに気づいたのはいつぐらいだったか、覚えていますか?

30代半ばころくらいからでしょうか。だんだん新しいことにドキドキしなくなくなるというか、「こんなもんでしょ」とわかってくるようになります。そのくらいから、「せっかく新しい場所に行くなら、あそこであれを食べよう」「あの人に会えるんだったら、あれも聞きたい」と、そんな余裕が出てきましたね。

研究出身だからこそ、良さを伝えられる

ー研究所から部所異動をして、Lideaに移られたのはどんな経緯だったのでしょうか。

どこの会社もそうだと思いますが、当社のどの商品も、発売前に安全性のチェックや家庭に保存しておいても劣化しないかなどのさまざまな基準をクリアできないと販売しないんです。やっと販売できても、売れ行きが悪ければ廃盤になることもあります。そういう状況を何度も見ていて、やるせない思いがありました。偉そうですが「いい物を作ってもそれだけじゃダメなんだ」という思いがあったんです。きちんとその良さをPRできないと意味がない。それなら商品の良さをわかっている私が宣伝や広報に行って、商品の良さをお客様もしくはメディアに伝える仕事をした方がいいんじゃないかと思って。タイミング良くちょうどLideaが立ち上がることになったことで、あるポストが新設されたところに、「いまだ!」と私が思ったタイミングが重なって異動となりました。いい時に来たな、めちゃくちゃ運がよかったなと後から思いました。

ーわかっているからこそ伝えられる強みってありますよね。

そうですね。研究職出身でないと、商品関連のコンテンツ制作における温度感が理解できない時があって、それがわからないとPRをするにも見当違いのものができてしまうんです。また、研究所と一緒に制作する記事は、昔の気心知れた知り合いがいるのもあって、なんとなく研究背景も想像できるんですよね。研究所の人と話すときにも共通言語があるので、意思疎通という意味で得しているなと思っています。

ーLideaでの編集の仕事では、具体的にはどんなことをしていますか。

まずはメディアの戦略に沿ってコンテンツの企画を立てて、あとは社内に様々な手配をします。どこの誰に何を聞くか、どこの部署に事前に確認をすればいいか、誰にインタビューをするのか、リサーチしてお声がけします。もちろん原稿を見て赤字を入れる作業もやりますが、メディア全体を見て進行を采配する役割が今は大きいですね。

また外部の制作スタッフを含めて編集メンバーの人数が増えてきているので、その人たちがスムーズに記事を作れるようルールを作るといった、フレーム作りが多いですね。あとは、ウェブサイト内でのデータを集めるなどして、その情報をマーケティングに生かせるよう、分析に関わる設計もしています。

ー取材に立ち会ったりもしますか。

あ、それが一番楽しいですね(笑)。もちろん企画次第ではありますが、SNSなどを見ていいなと思った方にお声がけをして、インタビューしたり素敵だなと思っていたイラストレーターさんに絵を描いてもらったりして一緒に仕事ができることがあるのは嬉しいですね。こういった自分のやりたいことが反映できる仕事をやらせてもらっていて、ありがたいです。

ーメディアを作る時に、時代の空気感みたいなものを知らないといけない部分もありますよね。それらをどんな風にインプットしているのでしょうか。

記事を作る時の編集会議で、パートナー企業さんを含め皆さんがいろんな新しい情報を持ってきてくれるんですよ。そういうのを聞くのは面白いですよね。「若い子はこういうことに興味があるんだ」とか、「こういうのはあまり惹かれないんだ」ということを、その場で学んでいる部分がありますね。

外に出ていろんな人と接して、考え方を柔軟にする

ー今40代半ばでいらっしゃいますが、この先について、どんな想像をしますか。

私の夫が、自分のやりたいことのために環境をどんどん変える人なんですよ。夫を見ていると、どんな仕事で何をするかというよりも、誰とどんな楽しいことをするかが大事なんだと思います。もちろんそれにはある程度のお金や健康が必要ですけど、それ以外はなんとかなるかなと。

Lideaの業務から違う業務に異動になっても、自分の叶えたいポイントが押さえられていればそれでいいし、やりたいことをちゃんと周りに示していれば、そんなにおかしなことにはならないかなと、ざっくりとしたイメージがあります。そのまま50代、60代といきたいなと思っていますね。

ーすごく柔軟でいいですね。世の中がどうなるかわからない中で、いろんな方向性があるというざっくりした感覚を持っておくと強いですよね。

もともと私は引っ越しが多くて、今まで10数回引っ越しをしています。私の父も生前は20回以上引っ越しているので、環境を変えていくことを楽しいと思う家系なんでしょうね。

ーこれまで青嵜さんがやりたいと思ったことの共通項はありますか。

私のライフワークというか、好きなことの一つは、プロフェッショナルな人たちとものを作り上げることなんです。自分もちゃんとプロフェッショナルになり、他の人たちと一緒にものを作り上げることに達成感を感じるところがあります。

もう一つが、どうしたら人にモノの良さを伝えられるかを考えるのが大好きなんです。誰に対してどのタイミングで伝えると「あ、いいかも」と言ってもらえるのかなと。それは研究職の時もそうだし、今もそうです。私は趣味でジャズを歌っているのですが、歌を歌うことも多分一緒だと思います。歌だけが上手ければそれでいいわけではなくて、見た目とかMCの時の仕草、バンドメンバー、曲順も含め、来てくれた人が求めるものを考えながら総合的に空間を作り上げることが大好きなんです。

ー確かに仕事も歌でも「伝える」という部分は共通しているかもしれませんね。

そうなんですよね。私は昔から楽器を弾いたり踊ったりがすごく好きで、その延長でジャズを歌っているのですが、よく考えたら、ずっと表現をしているんですよね。

あとは先ほどお伝えした、引っ越しがすごく多いことも影響しているかもしれません。同じ日本でも北から南に地域が変わると、それこそ寝る時間から喋る言葉、「当たり前」が全然違います。そうなった時にどう伝えたらこの人たちと分かり合えて友達になれるかということを、幼い頃から頭の片隅で考えながら生きてきたかもしれないです。

ー変化を楽しめるのが青嵜さんの特質という気もしました。最後に、40代になるとマネジメントをするケースも増えてくると思いますが、どんなふうにしていきたいかなど、イメージはありますか。

率先してチームを束ねたいとはあまり思いませんが、やはり自分と関わる若い子に育って欲しいというのは当然ながらありますよね。

つい最近感じたのは、メンバーに対して「正論を詰めるだけはいけない」ということなんです。以前は私の周りには、正論で理論立てて話をすれば伸びる子が多かったんですね。それが今の環境ではそうとも限らない。それが逆効果になることもある。余白を持って伝えた方が自分らしく考えて伸びる場合もあるんだなと、そういうことが今更ながら最近になって感じました。その子に合わせて自分も変えないといけないんだなと。いろんな環境でいろんな人と接すると学びがあるし、謙虚に自分の考え方を柔軟にしないといけないなと改めて思いますね。

貴重なお話ありがとうございました。

インタビュー・編集:扇本英樹 (株)Sparks
執筆:梅田梓

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