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インタビュー

笑顔のためならバカにもなれる。税理士法人を率いる3代目の挑戦

今回ご登場いただくのは、公認会計士・税理士の矢﨑誠一さん。監査法人トーマツを経て、祖父の代に創業した会計事務所へ2012年に入社しました。一貫して「まわりの人を笑顔にしたい、喜んでほしい」という思いを持ち歩んできた矢﨑さん。そのキャリアと、40代の展望をうかがいました。

Profile/
矢﨑誠一さん
税理士法人矢崎会計事務所 代表社員
公認会計士・税理士
※2023年4月現在

「二宮金次郎」スタイルで猛勉強、公認会計士の資格取得へ

ー今の矢﨑さんのお仕事を教えていただけますか?

僕は税理士と公認会計士の資格を持っていて、会社としては税理士法人ですので、今は税理士の仕事をしています。従業員が30名程度で、中小企業の顧問税務業務、個人の方の確定申告業務、あとは資産家の方々の相続税のご相談でお仕事をしています。

ー会計士は難しい試験だと思いますが、勉強は大変でしたか? 大学時代はキャリーバッグを持ち歩いて勉強をされていたと聞いたのですが、勉強のための教材を入れていたのでしょうか?

そうです。会計試験にいち早く受かるためにはどうしたらいいかと考え、まずは勉強時間を確保しようと思ったのですが、大学生なので飲み会など誘惑がいっぱいありますよね。それらを全部断らなければいけなかったので、いかに勉強に向かうかを考えて「勉強をする人で自分の理想って誰だろう」「二宮金次郎だ!」と思って。一応目指していたのは、現代の二宮金次郎だったんです(笑)。二宮金次郎が歩きながら本を読んでいる、あの姿に憧れていて。

1日に使う教材なんて実際にはごくわずかですし、歩きながら読んでも頭に入ってなかったと思いますけど、でもそれが僕のモチベーションになっていました。

ー面白いですね。気持ちを勉強に切り替えても、続かない人も多いと思いますが、矢﨑さんが勉強を続けることができたのはどうしてでしょうか。

当時僕自身が内面的に抱えていた課題を克服したい思いがあったのかなと思います。
僕は高校時代に陸上競技をしていたのですが、怪我にめちゃくちゃ悩まされて結果を出せずに終わってしまったんですね。そこで挫折を味わって、努力は報われない、どんなに努力しても結局うまくいく人はうまくいくし、僕はうまくいかない星の下に生まれたのだと、すごくネガティブな考えを植え付けられてしまったところがありました。

何か変わるきっかけがほしいと思っていた時期だったんです。そこに会計士試験を父から教えてもらって、この試験に受かったらポジティブになれるかもしれないと思ったところもあります。

ーそうなのですね。試験に合格して、変化はありましたか?

めちゃくちゃ生まれ変わったと実感しています。会計士の試験は2回受けていますが、1回目の時に答案用紙に名前を書き忘れたり、1枚目と2枚目を逆に書いてしまったりということがありました。その原因は、本番ではどうせ失敗してしまうと思い込んでしまう自分のネガティブな部分が出てしまったのだと思ったんです。
それで1回目の試験の失敗を経て、メンタルトレーニングを受けました。試験勉強は本番で100%力を出せないと勝てない、トップアスリートと同じだと思って。

トレーニングを受けている間に徐々にポジティブな気持ちが生まれてきて、2回目の試験は、ペンを置いた瞬間にこれは絶対に受かったなと感じました。自分を客観視しながら、メンタルにもテコ入れできたことが大きかったなと思います。

想定外の進路決断。家業の承継へ

ーすごく基本的な質問なのですが、会計士と税理士の違いはどういうものでしょうか?

シンプルに言うと、会計士は大企業の会計をチェックして決算書が正しいことにお墨付きを与える仕事です。税理士は主に中小企業、個人の税金計算と相談を受ける仕事です。

ーそういった違いがあるのですね。矢﨑さんは会計事務所の3代目でいらっしゃいますが、お祖父様、お父様から引き継いだということでしょうか?

はい。祖父が東京で運送業を始めたんですけど、運送の会計がすごく難しいので、それをサポートしようと会計事務所を立ち上げて、そこからずっと会社が続いています。

ー幼い頃から、家業を継ぐことが頭にあったのでしょうか。

全く考えていなかったです。というのも父が仕事のことを一切言わなかったので、税理士が何をしているかも知らなくて、全然違う畑に行こうと思っていたんです。

ーどんな方向を考えていたのですか?

大学のサークル活動を通じて自分のテンションが上がることがなんだったのかというと、イベントを企画したり、人を楽しませたりすることでした。サークルのメンバー一人ひとりの顔を思い浮かべて、「この子にはこの歌でお酒を飲むときのコールを作りたいな」とか、バカみたいにそんなことばかり考えていたんですね。だから企画や運営ができるような広告代理店などに行くことを考えていました。

ー本当に全然違ったのですね。そこからどのように進路を決めていかれたのですか?

一つめの転機になったことで、僕が20歳の時に母親がくも膜下出血で突然死をして、それが様々なことを考える節目になりました。当時すごく母親と仲が悪くて、僕は母親に対して反抗的だったところがあったんです。でも亡くなってから母親がしてくれていたことに気づき、後悔と感謝の気持ちが芽生え、これからでも親孝行ができると思ったんですね。

ちょうど就職活動をするタイミングでもあったのですが、それまで一切仕事の話をしてこなかった父親が、僕に会計士のパンフレットを渡して、こういう資格があるという話をしたんです。資格のことを調べるうちに、難しい資格であることがわかり、僕が合格したらミーハーな母親は天国でめちゃくちゃ自慢してくれるだろうなとも思ったんです。それで父親に対する親孝行も含めて、トライしようと勉強を始めました。

一体感を作り、チームで楽しく仕事をする

ー合格後は監査法人トーマツに就職されています。ここに決めたのはなぜでしょうか。

厳しく成長スピードも早いイメージがあったからです。大学の同期と比べると1年遅く就職しているので、僕の中で焦りがあったんですね。いち早く一人前になりたいと、監査法人の中でも体育会系のトーマツに決めました。

ー求めていた成長を得られたという実感はありますか?

そうですね。4年間いましたが、体育会系と呼ばれるところにわざわざ身を置く人たちなので優秀な方々が多く、その中で仕事ができたのは素晴らしい経験だったなと思っています。
どんどん経験を積みたかったので、新入社員歓迎会で「ドMなので仕事をいっぱい振ってください!」とアピールしたり、優秀な先輩に積極的に絡んだりして、貪欲に仕事を求めていきました。

監査の仕事はチームを組んで行うので、自分が先輩になってからは、チーム一丸となって楽しくやっていきたいというのが僕のコンセプトでした。後輩の一人にちょっと寡黙な子がいたのですが、AKB48が好きだと知り、打ち解けるためにAKBのことを勉強して自分の方が好きになってしまったことも(笑)。握手会にも率先して行って「みんなも行こう!」と言っていました。そうやって一体感を作っていったんです。

ーすごくいいですね。大学でサークル運営をしていた頃とつながっていますね。次のステップである現在の会計事務所へ進むにあたり、トーマツを卒業する経緯はどのような感じだったのでしょうか?

そこにはもう一つの転機があって、父が脳梗塞になったんです。初期に見つかったので後遺症はないのですが、集中して仕事をすることが難しくなり、この先どうなるかわからないと思いました。
当時は仕事が忙しくて父と全然話ができていなかったのですが、本音を聞くと、父親が経営していた事務所を継いでほしいという言葉が出てきて。

会計士の試験に受かることが僕にとって親孝行のゴールと考えていましたが、父親に対する親孝行にはまだ先があると思い、それがトーマツを辞めるきっかけになりました。

業界主流を無視。従業員のやりたい方向へ

ー現職は税理士法人ということで、これまでとは全く違う環境に飛び込まれたという感覚でしょうか?

おっしゃる通りです。最初は税理士のことも業界もわからない状況でした。それでまず自社の分析をしようと過去の業績を見たのですが、バブル崩壊からずっと右肩下がりだったんですね。従業員の給料も最低賃金レベルなのにも関わらず、残業がめちゃくちゃ多くて、みんなの顔を見るとすごく辛そうな感じで仕事をしている状況でした。

ーそこから矢﨑さんはどんなことをされたのでしょうか。

まず業界を知るために、全国の会計事務所をいろいろ回って、将来の戦略を考えました。
あとは、縁あってうちの従業員になってくださっている方の思いを理解しなきゃいけないと思ったので、従業員との1on1ミーティングでどんなことに興味があるか、どんな仕事が楽しいかといったところを聞いていきました。そうしたらみんなが口を揃えて「お客様から感謝される仕事をしたい」と言ったんですね。

僕も関わる人を笑顔にしたいという気持ちが強かったので、方向性は一致しているなと思ったんです。そこで、それを表現するための経営理念を作ってみんなに話をしました。

ーそれによって売上の回復に繋がっていったということでしょうか。

変わっていくきっかけになったと思います。
もう一つ、当時は業界内で経営コンサルみたいな仕事をやっていかないと生き残れないと言われていて。その流れに乗って僕がまず勉強して、みんなにもやってもらおうと思っていました。けれど、ふとみんなの顔を思い出した時に、経営コンサルみたいなことがしたくて事務所に入ったわけじゃないと思ったんですね。それで、みんながやりたいかたちでお客さんに貢献できることを考えなきゃいけないと踏みとどまりました。

代わりに選んだのは「武器を持たせてあげる」というやり方でした。武器というのは具体的に言えば提携先です。いろんな武器を集めて、それを使いたい時に使ってお客さんに貢献していく。この戦略によってうまく循環していくようになりましたね。結果として、2年でV字回復にいたりました。

ーなるほど。先ほどもチームの一体感を大切したというエピソードがありましたが、それがここでも生かされていますね。

昔から人が笑顔でないのが辛い、みたいな気持ちがあるんです。大学のサークルでも面白くなさそうにしている人がいるのがすごく嫌でした。

実は20代からは趣味で、結婚式のプロデュースもしています。笑顔を全面的に出せるような演出の空間を最大限つくってあげたいという気持ちがあって。最終的にはウエディングプランナーさんとの交渉も僕がやるし、司会、サプライズ企画演出、ムービー作成、二次会も含めたトータルコーディネートをすることもありましたね。

ーもはやもう一つの仕事のような感じですね。矢﨑さんの中で人に喜んでもらいたい、というところが共通する軸なのでしょうか。

そうですね、そこは僕の人生の中でブレていないと思います。

成功体験に縛られず、行動で幸せを追求する

ー今40歳でいらっしゃいますが、40代をどう過ごしていくか、何か想像されるようなところはありますか。

人間、年を重ねるほど保守的になっていく部分があると思うんです。一番怖いと思っているのは成功体験に縛られてしまうこと。特別大きな成功をしているわけではありませんが、この業界の中で少しずつ成功を積み上げてきた。それらに縛られて行動が制限されて、つまらない人間になってしまうのは避けたいなと思っています。

興味があって「幸せとは何か」という勉強もしているのですが、行動量が多い人のほうが幸せである可能性が高いという研究結果があるらしいんですね。やはり行動することはすごく大事だし、行動している人の幸せは、他の人に伝わっていくという話も聞きます。だから行動をやめないことが周りの人を幸せにしていく上でもすごく重要だと思っています。それが僕にとって40代のすごく重要なポイントなのだろうなと感じています。

ー矢﨑さんは様々な情報に触れてインプットされているのかなと思いますが、どういうインプット源が多いのでしょうか。

本もめちゃくちゃ読んでいますし、YoutubeやTwitterからもインプットしています。あとはおもしろい人たちが集まる交流会に行くこともしていますね。

ーそれを続けているから、いろいろな話が出てくるのですね。すごく腑に落ちた感じがします。矢﨑さんご自身も本を出版されていますね。

はい。「鬼滅の刃」が好きすぎて、この想いを表現したくて、鬼滅の刃からリーダーシップを学ぶ本を書きました。「鬼滅の刃」は学べることが豊富なので、みなさんの人生に役立てるノウハウを掲載しています。ありがたいことに反響が良く、これからセミナーもやっていきたいと思っています。

ーお父様への親孝行の話がありましたが、果たせたという感じはありますか。

ある程度はできたと思っていますが、父の言葉には地域貢献というものもありました。それは先々代の祖父が地域の方々のために頑張って事務所を大きくしてきたところがあるんです。僕はまだ地域貢献まではできていないので、今後取り組むべきことの一つだと思っています。

鬼滅の刃から学べ! チームを幸せに導くリーダーのあり方

リーダーとして必要なことはすべて『鬼滅の刃』から学んだ!!ここから始まる物語が、リーダーとして迷ったときの道しるべになる。

インタビュー:扇本 英樹 (株)Sparks
編集:家本夏子 (株)エスケイワード
執筆:梅田梓

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