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インタビュー

リクルート時代の“絶望”がキャリアの転換点。仕事でもプライベートでも、心理的柔軟性をもった40代へ。

今回ご登場いただくのは、リクルートやベンチャー企業で、主に人事領域の課題解決に従事されてきた浜岡さんです。2023年1月、39歳で組織人事コンサルタントとして独立しました。

「僕のキャリアで順風満帆にいったことなんて何ひとつないんです」と語る浜岡さんの人生を深掘りしつつ、なぜこのタイミングで独立したのか、これから迎える40代に向けてどんな未来を描いているのか、話をうかがいました。

浜岡 範光さん
合同会社プリディレクション 代表社員
※2023年4月現在

39歳で組織人事コンサルとして独立

− このたび独立されたということで、事業内容について教えていただけますか?

はい。大きく分けると3つあって、ひとつは「組織人事コンサルタント」です。今は複数の企業さんに、採用や等級・評価・報酬制度、人材育成など、組織上の課題解決に向けたサポートをさせてもらっています。それから「コーチ」。企業の経営ボードメンバーからミドルレイヤーの方々を中心に、10名ほど個人向けのコーチングセッションを行っています。最後は「その他」という括りにはなりますが、人事の方向けの塾を2つほど運営したり、コーチングスクールの講師をやったりしています。

− 浜岡さんはこれまでどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。

新卒でリクルートに入社して、人事を2年、営業を5年、経営企画を1年半経験しました。32歳でテック系ベンチャー企業のカヤックに転職して、2年半ほど事業開発や人事コンサルに携わり、35歳でリクルートグループに出戻りして組織人事コンサルを3年半。38歳でチャットコマースのスタートアップであるZEALSに転職し、人事責任者を務めました。

40代を前に「もっと多様なコミュニティの人たちと一緒に働いてみたい」という気持ちが湧き上がってきて、ひとつの組織へのコミットメントがある程度求められる「会社勤め」という働き方が、少し合わなくなったと感じるようになりました。

実は昨年、いろんな地方で暮らす方々にお会いする機会があって、「人生の豊かさってこんなにバリエーションがあるんだ!」と改めて気付かされました。僕はこれまでの人生、仕事が大きなウェイトを占めてきたんですよね。でも今後は、仕事以外の喜びも貪欲に追求してみたいなぁと考えています。時間の使い方や人間関係を含め、「生き方のチューニングに挑戦したい」と独立を決めました。

正直、不安はありました。僕のビジネスって超労働集約型なので、大病を患って倒れたら無収入になっちゃうなぁとか、不動産を借りるとき審査が通りにくくなるなぁとか。

でも、「独立がうまくいかなかったら、もう二度と会社員に戻れないの?」と自問自答したとき、「そんなことない」と思ったんです。やってダメなら、また選び直せば良い。そうマインドチェンジしてから、スッと楽になりましたね。

“正しく絶望できてよかった”20代リクルート時代

− 浜岡さんのキャリアのスタートはリクルートですよね。就活時代は、どのようにリクルートに辿り着いたのでしょうか?

マスメディアで働いていた父親の影響を受けて、最初はテレビ局などを受けていました。「人が好きだから人材かな」と人材業界にも目を向け始めて、トータルで100社くらいエントリーしました。でも片っ端から落ち続けて。。「やばい」と焦りまくりでした。

実は僕、もともと「サラリーマンってダサい」と思っていて、就活も嫌々だったんですよね。理不尽なことに頭を下げて、疲れた顔をして電車に乗って、みたいなネガティブなイメージしかなくて(笑)。「なにかに隷属したくて生きてきたわけじゃないのに!」というある種の絶望感がありました。

でも就活中に「かっこいい!」と思う方に何人か出会えて、彼らが揃いも揃って元リクルートだったんです。「サラリーマンという人種でも、自分の仕事の魅力を自分の言葉で語る素敵な人たちがいるんだ」と驚き、リクルートに惹かれました。選考を受けるとあれよあれよという間に進み、内定をいただきました。

リクルートではどんな若手時代を過ごされましたか?

だいたいいつも最下位からのスタートで、苦労の連続でした(笑)。社会人1年目は東京で人事配属だっんですが、リーマンショックが起きて採用はストップ。「人事の若手は全員営業に出す」ということで、社会人3年目に熊本の異動が決まり、いきなりゼクシィの営業になったんです。

ところが最初の半年間は、まったく鳴かず飛ばずでして。なんとか結果を出そうと、深夜まで会社に残って作り込んだ企画書50枚を、お客さんのところに持っていくんです。でも「うちお金ないって言ってんじゃん!」と投げ捨てられて。さらに「浜岡さんやりにくいんで、担当変えてください」とクレームの嵐でした。

「こんなに人から嫌われることってあるんだ」と辛すぎて、毎日のようにマンションのベランダからボーっと道路を見て、「ここから飛び降りたら明日会社に行かなくて済む」と本気で考えたこともありました。

そんなご経験が…。そこからどのように這い上がっていったのでしょうか?

くすぶっていた僕に「浜岡、飯でも食うか」と手を差し伸べてくれたのは、人事時代からかわいがってくれた部長でした。六本木の焼肉店で「もうダメかもしれません……」とうなだれる僕に、部長が「お前はいきなりデカい仕事をしようとしすぎなんだ。もしお前の下に新人がきたら、何を任せる?」と聞いてきたんです。僕が半分ふざけて「新人なら飲み会の幹事とかですかね」と返すと、「そうだよね」って。

「お客さんにとって、お前なんか新人と一緒だよ。ブライダルのこともろくに知らない若いやつが、『御社の課題は…』とか言ったらなんて思う? プロへの道は小さなことの積み重ねでしかない。お前が今できることで、お客さんの役に立つことを本気で考えてみろ。式場の玄関の掃き掃除から始めたっていいじゃん」と言われ、ハッとしました。そこから仕事の姿勢が180度変わりましたね。次第にお客さんから信頼をいただけるようになり、半年後には社内でMVPとして表彰もしてもらいました。

浜岡さんのキャリアにおいて大きなターニングポイントだったんですね。

そうなんです。あのとき、できない自分に対して正しく“絶望”できたことが、その後のキャリア形成における基盤になったと思います。リクルートには「僕以上に僕を信じ続けてくれた人」がたくさんいて、今でも深く感謝しています。

営業として5年が経ち、走り切った感が出てきたので、その後、経営企画に手を挙げました。リクルートが分社化した「リクルートキャリア」という人材領域の経営企画に配属されまして、経営戦略の策定や、社内の新規事業開発の企画に携わりました。

経営企画では、経営トップの会議というリアルな現場で、意思決定における「決め方を決めること」の大切さを学べたのは大きかったですね。経営判断にはトレードオフが付き物で、なにかを取ったらなにかを捨てなきゃいけない。だからこそ、「何を大切にして決めるのか」の重要性を身をもって実感しました。

「もっと自分の力を試したい」とベンチャー転職

リクルートで8年半、大きな結果も残し活躍されていたところから、どんなきっかけで転職したのでしょうか?

リクルートはすごく居心地が良くて仕事も楽しかったんですが、「自分がそれなりにやれてきたのは周りが優秀だったからじゃない?」という漠然とした不安をずっと抱えていました。30歳を過ぎた頃、「外に出て自分の力を試したい!」と思い立ちまして。あと僕、入社したときから「会社の飲み会で過去の栄光の話が半分を超えたら辞めよう」と決めていたんです。その2つが重なって転職を決めました。

とにかく既成の枠組みから飛び出るチャレンジがしたくて、業界も組織体制もリクルートとまったく違う300名ほどのベンチャーを転職先に選びました。そこでは新規事業の黒字化や新規立ち上げを経験しました。

− 浜岡さんはその後、組織人事コンサルに携わられていますよね。この仕事のおもしろみってどんなところなんでしょう?

たとえばですが、クライアントさんで「A案とB案どちらが良いか」と悩まれるシーンがよくあります。でも、その前提条件を見誤ってしまうと、いくら悩んでも答えは出ません。僕が「みなさんが大切にしたいものって、もしかしたらこの前提じゃなくて、こっち側なんじゃないですか?」と提示したときに、「そうかも!」と一気に物事が進む瞬間や、実現に向けて一緒に創り上げていく感覚がすごく好きだし、楽しいですね。

僕は新しいことを始めるとき、いつもwill(なりたい自分)を考えます。「プロジェクトが終わったらみんなで喜び合いたいな」とか。このwillを周囲に示すことで、圧倒的に小さなcan(今できること)と圧倒的に大きなwillとのギャップが明確になって、「だったらこれを学べ」「この人に相談してみろ」とか、いろんな人が隙間を埋めてくれる感覚があるんですよね。

「仕事も人間関係もすべて、いつでも得られるし、いつでも手放せる」そんな40代にしたい

− ここまでご自身のキャリアを振り返っていただきましたが、浜岡さんのキャリアの軸はどんなものだったのでしょうか?

実は僕、キャリアのテーマが見えてきたのは35歳くらいなんです。20代の頃は「何者かになる」のがすごく怖かった。人事のときは「人事しかできない人」になるのが怖かったし、営業で成果を出しても「営業のキャリアしか歩めない人生になるのでは?」と不安でした。だから30代中盤くらいまでは、「振り幅がある仕事」を軸に選び続けていた気がします。

リクルートから転職し、人事コンサルとして歩み始めたとき、初めて「僕は人と組織が好き。これは天職だ!」と思いましたね。でも今は少し考えが変わりました。キャリアの語源は「轍」。キャリアって目の前に作るものじゃなくて、振り返って後に残るものなんだと。「今どんな足跡を残せるか」を真摯に考え続けることこそが、結局のところ一番大切なのかなと思っています。

仕事でもプライベートでも、興味があるテーマや見たい景色がたくさんあります。そこに対して「心理的柔軟性」を持ち続ける自分でありたいです。仕事も人間関係もすべて、いつでも得られるし、いつでも手放せる。そんな40代にしたいですね。願わくば、「1年前にはまさかこんなことをやってるなんて想像してなかった」と言い続けられる人生を歩めれば幸せです。

− 貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー・編集:扇本 英樹 (株)Sparks
執筆:日向みく

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