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インタビュー

ブランドの立ち上げも再生も。成果の出せるフィールドを見つけ、貢献し続ける

今回ご登場いただくのは、大手アパレル企業で31年間、ブランドの立ち上げや事業再生を成功させてきた五老海(いさみ)さん。転職後の今も、有名ブランドを担当しています。現在55歳の五老海さんは、自身のキャリアを「アップダウンの連続」と振り返ります。日本がバブル景気に沸く1989年にアパレル大手のワールドに入社し、ブティックへの営業からスタート。移り変わりの激しい業界でさまざまな職種を経験しながらも、しなやかにチャンスをものにしてきた五老海さんのキャリアを辿ります。

Profile
五老海 義隆さん : 株式会社ジョイックスコーポレーション
MD統括部 部長代行
※2022年11月現在

考えうる選択肢の中から、成長できる道を選ぶ

— ワールドに新卒で入られていますが、もともとファッションやブランドにご興味があったのでしょうか。

私はいわゆる一般大学の経済学部だったので、就職活動ではセールスに行くのだろうなと思いながら業界研究をしていました。そのなかで、例えば証券のセールスだったら私が営業をして「もっとこうしたらお客様に喜んでいただけるのに」と感じても、自分では商品開発ができませんよね。車の営業もそうです。どれだけトップセールスマンになっても、自分でデザインを変えることはできません。

そう考えた時に、アパレルであれば、セールスや店舗のスタッフの声が重要視されるのではないかと思ったのです。もちろんファッションに興味はありましたが、好きだからファッション業界に行ったというよりは、自分の裁量でサービスやプロダクトを作ってお客様に喜んでもらいたくて、業界を選びました。

アパレルのビジネスは、インポートや卸売、商社などがあり、さらに婦人服、紳士服、子供服といろいろありますよね。私は「女性の方に喜んでいただけたらたらいいな」との思いから婦人服を目指し、「婦人服で一番大きい会社はどこだろう」と調べたら、ワールドでした。実家が大阪なので、本社も神戸にあって身近に感じました。

よく大手志向なのかと聞かれることがあるのですが、そうではなく、一番の会社になっているということは「他とは違う何か」があるからですよね。私は、一番になっている理由を学べば自分も成長できるのではないかと考え、第一希望をワールドに決めました。

自分で動いて機会を生み出す

— ワールドでさまざまな職種を経験されていますが、その変遷を教えていただけますか。

おかげさまで私は割と早い段階で、入社時の思いを実現させることができました。ルートセールスでふたつ目に担当したブランドはシャツが少なくて、シャツを作ることに。もちろん最初は「あなたの想いだけでは作れない」と突き返されましたが、「絶対に売り切りますから作ってください!」と食い下がりました。それで作ったシャツが完売したんですね。その経験から「企画でチャレンジしたい!」と異動希望を出したところ、叶えていただけました。

企画を経験した後、セレクトショップという業態の中に自分の裁量で商品を調達するバイヤーという仕事があることを知り、興味を持ちました。ちょうど私の上司が兼務する部門にバイヤー制を導入しているブランドがあったので、強くお願いしてそちらへ異動させてもらい、企画の次にバイヤーを経験しました。

しかし、バイイング商品はオリジナルで商品を作るのに比べて商品の調達コストがかかります。売れ行きは良かったのですが、オリジナルブランドと比べると利益は低い状態でした。結果的には担当していたアパレル部門を閉めることになり、この時には「会社を辞めようかな」とすら思ったのですが、ちょうど良いタイミングで、社内で新規事業の募集があったんです。「これだ!」と思って、プレゼン資料を作って応募したことをきっかけにチャンスをいただき、ブランドを立ち上げ、初めてブランドの責任者になりました。

入社する前、いつかは自分でブランドを作りたいと壮大なことを思っていたんです。自分のブランドの服を着たお客様に「さらに素敵になっていただけたらいいな」と。でも専門学校も出ていない人間には絶対にできないと思い込んでいて。ですから、ある日、自分のブランドの服を上から下まで着ている方がすごく嬉しそうにされているのを見た時に「ああ、ここまでやってきてよかったなあ!」と思いました。本当に嬉しくて夢が叶ったと思いましたね。

事業再生に自身の強みを見つける

— ご自身でブランドを立ち上げたのは、いつ頃でしょうか。

一度目は34歳の時です。そのあと1年ぐらい経った時に、業績が悪化していた別の雑貨ブランドの立て直しのお話があり、そちらのブランド責任者になりました。3年でV字回復できてからは、事業再生のミッションが多くなりました。ショッピングモールのファミリーブランドやライフスタイルのブランドなどでは、新しいビジネスプランを作ったり店舗のモデルを変えたりしながら再生に取り組みました。ようやく業績が伸びてきて、少しホッとした頃に「次は、こちらのブランドをお願いします」と(笑)。

事業再生というと言葉はかっこいいですが、実際は地道な仕事の積み重ねで、なかなかすぐに良くはなりません。結果的にはうまくいくことが多かったのですが、数字が上がるように毎日祈りながら過ごす、プレッシャーが続く日々でした。

ブランド再生請負人の真髄は「本当の原因を見つける」こと

— 再生ということは、事業を伸ばすということでもありますよね。事業再生をいくつも成功させることができたのには、どんな理由があったのでしょうか。

そうですね、うまくいっていない事業には絶対に課題があるんです。まずそれを見つけるために、まず一人ずつ面談して話を聞きました。よくあるのですが、商品を作っている人は「店舗が売ってくれない」、店舗の人は「売れる商品じゃない」と。だから「本当の原因は何なのか?」というのを自分なりに仮説を立てて、数字を見て、「こういうことだから、この順番でやっていこう」と決めて進めていきました。

— そのビジネス感覚みたいなものは、もともと持っておられたのでしょうか。それとも誰かから学ばれたのですか。

20代後半に巡り合った上司に、「お店が輝いていないとだめだ。お店の課題を解決するためにどうしたらいいかを常に考えろ」と言われました。その教えが大きいですね。今ではお客様とのタッチポイントはWEBやSNSもありますが、当時は店舗が100%だったので、どれだけいいものを作ったとしても、お店がすべての発露なんですね。

「お店が輝く」というのは、単に商品を綺麗に並べるということではありません。ブランドコンセプトや顧客ターゲット、商品の素材、デザイン、パターン、カラー、価格、型数、サイズ、発注数、納期、デリバリーや在庫まで、全てを見直すことから始まるんです。

ですから、実際に再生の場面で私が改善策を提示すると、(本社スタッフも店舗スタッフも)最初はこれまでの自分たちやり方を否定されたような気持ちになりネガティブな反応が多いのですが、最後には「そうですね、やってみましょう」とアクションしていただけたことにとても感謝しています。仕事を教えて下さった上司や先輩、チャンスを下さった方、見えないところで守って下さった方、そして何よりも一緒に働いた方々など、私は本当に人に恵まれました。

— お話を伺って、五老海さんがやりたいと思って手を挙げたこと、周りの人から引き上げられたこと、両方でキャリアを重ねてこられたのかなと思いました。五老海さんがやりたいことには共通項みたいなものがあるのでしょうか。

今あることに対して「もったいないな、こうしたらもっと伸びるのに」という視点はありますね。自分がそこに携わることができたら解決できるかもしれないし、きっと少しは貢献もできるだろうし、ということでしょうか。そもそも、「これをやりたい」と思ったら、我慢できないんですよね。だからやりたいと思ったことに対してはだいたい「やりたいんです!」と言い出していましたね。周りからすれば「今まで一緒にやってきたのに」というのはあったと思います。ですから、言うときには全員を敵に回すくらいの気持ちでした(笑)。でも、人生は一度きりですから、これまでの積み重ねよりも「やりたい」という想いを優先させてきました。

宣言すれば、「得意」と「やりたい」の両輪で人生を楽しめる

— 現在は、ポール・スミスをはじめとするライセンスブランドを主に展開するジョイックスコーポレーションに転職されましたね。今後の展望は。

入社後すぐに2つのブランドのリブランディングを担当した後、今年4月からMD統括部というセクションでポール・スミスのMD・DB業務のDX推進やブラッシュアップに取り組んでいます。現在55歳で、いずれ会社員生活が終わります。そのあと自分はどういう形で社会に貢献できるのか?と考えたら、先ほど述べたような経験をアップデートしながら、何か困ってらっしゃる方のお力になれればと思っています。

そしてもう一つ、私はアートが好きで、いま「対話型アート鑑賞」を学んでいます。「アートをみて、他の参加者の意見をきいて、考えて、話す」というプログラムですが、これがすごくおもしろくて。アメリカでは観察力やコミュニケーション力を高めるために、一部の教育・医療現場をはじめ警察関係や企業がこのプログラムを導入しています。そこまでには至らなくても、アートがもっと身近になるようなお手伝いができればいいなと思っています。

実は、先日「アートコミュニケーター」という肩書きの2枚目の名刺を自分で作リました。いまは副業禁止なので対価を伴う活動はできないのですが、次のステップに向けて「宣言してしまおう!」と思って(笑)。名刺を作れば逃げられないと、自分にプレッシャーをかけています。これがもう一本の軸となって、これまでのビジネス経験とアート活動の両輪で歳を重ねられるといいですね。

インタビュー・編集:扇本英樹 (株)Sparks
執筆:梅田梓

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